【3月11日 AFP】東北の3月の海はまだ凍えるように冷たい。木造のボートに乗りこんだ高松康雄(Yasuo Takamatsu)さん(57)は、うねる波に揺られながらドライスーツを着こみ、スキューバダイビングのタンクをかついだ。

 今日も、冬の暗くよどんだ太平洋に潜る。津波にさらわれた妻を捜すために。

「おだやかな感じの人だった」と、高松さんは震災当時47歳だった妻、祐子(Yuko Takamatsu)さんのことを振り返る。「私にとっては本当にいつも隣にいてくれるような、もちろん物理的にも精神的にも、いつも隣にいてくれるようなそんな人だった。この存在は大きいし、失ったということも大きい」

 高松さんは宮城県女川町でバスの運転手として働く。スキューバダイビングは趣味としてもやったことがなく、ダイバーとしての素質があったともいえない。潜れるようになる日がくるか心配だった。それでも海へ入らずにはいられなかった。妻の最後の言葉が忘れられないからだ。

 2011年3月11日、午後3時21分。大地震が東日本を揺さぶってから約30分後、巨大な津波がものすごいスピードで女川町の沿岸に迫ってきていたとき、銀行員だった祐子さんから高松さんの携帯電話にメールが入った──「帰りたい」。

「震災のときの最後のメールがそういうのもあって。今のままではかわいそう。早く家に帰してあげたい」