【3月4日 AFP】サッカーとサンバ──それはブラジル人の魂を制し、結婚のように融合し絡み合う二つの情熱だ。

 1950年以来となるサッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が開幕し、地元の芸術的サッカープレーヤーたちがホームのステージに上るまであと3か月となる中、先週末には、リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)をはじめ全国各地で、街をサンバリズムに揺らすカーニバルが開幕。延々と続くビートは、人々にとってW杯に先立つお楽しみの機会だ。

 サンバとサッカーのつながりは、ブラジルの文化的アイデンティティーの基本的な柱を表象している。サンバの起源はアフリカとの奴隷貿易にあり、サッカーよりもずっと古い。

■1930年代から大衆に浸透

 ただ、この二つが大衆現象となったのは、ブラジル東部の主要都市であるリオとサンパウロ(Sao Paulo)の産業化が進んだ1930年代だ。かつて農場で働いていた黒人の元奴隷や、賃金が出る仕事を求めていたその子孫を磁石のように引き付けた。

 この時期にはリオの黒人労働者階級が、カーニバルを今日の形式で組織することになるサンバチームを結成。一方のサッカーは白人富裕層のアマチュアスポーツとして始まり、長い時間をかけてその他の階層に開かれた。

「サッカーとサンバとマランドロ(ならず者の意)は、ブラジル大衆層の文化的本質を作り出した」と語るのは、『The Invention of Football Countries(サッカー大国の誕生)』の共著者アントニオ・ジョルジ・ソアレス(Antonio Jorge Soares)氏だ。また、歴史研究家のベルナルド・ボルジス・ブアルケ・ジ・オランダ(Bernardo Borges Buarque de Hollanda)氏は、「大衆音楽の高い評価とサッカーW杯の優勝は、政治の機能不全が招いている根深い不信感に対して釣り合いを取る、一種の平衡力の役割を果たした」と付け加えた。

■ブラジル版「パンとサーカス」

 政治支配階級はすかさず、大衆の不満をそらす方法としてこの二つを利用した。古代ローマ皇帝が用いた「パンとサーカス」の手法だ。

 1930年代に大衆迎合的な政策を実施したジェトゥリオ・バルガス(Getulio Vargas)大統領の政権は、サッカーのプロスポーツ化を促進。「ある種の人種間民主主義がブラジルに存在すると思い込ませる」ことで「スポーツ選手や大衆の支持を取り付ける方法」だった、と『Football Explains Brazil(サッカーで読み解くブラジル)』の著者マルコス・グーテルマン(Marcos Guterman)氏は述べている。

 バルガス政権はまた、イタリアのファシズムを参考に、カーニバルのパレードで演奏する「サンバ・エンヘード」でブラジルの歴史や国家の価値観を称賛することを義務付ける政令を発令。こうした「ブラジル賛美」を、共産主義を否定する手段として活用した。1964~85年に同国を支配した軍事独裁政権はこの伝統を受け継ぎ、サンバチームは厳重な監視下に置かれた。

 1970年のサッカーW杯でペレ(Pele)を軸としたセレソン(Selecao、ブラジル代表の愛称)が優勝したことも、ブラジルが潜在的な力を自らに証明しようとする機運を背景に称賛された。