■警察署長ですらなかった?

 しかし、米ニューヨーク(New York)を拠点とするセントロ・プリーモ・レーヴィは、最新調査の結果「パラトゥッチ氏がナチスの下で働いており、フィウーメに住んでいた少数のユダヤ人の情報を提供していた」ことが明らかになったと発表した。

 この発表を受け、米ワシントンD.C.(Washington D.C.)のホロコースト記念博物館(Holocaust Memorial Museum)は、今夏の企画展「Some Were Neighbors: Collaboration and Complicity in the Holocaust(隣人だった者たち:ホロコースト下の協力と共謀)」からパラトゥッチ氏に関する資料の展示を外し、公式ウェブサイトからも同氏に関する事例研究を取り下げた。

 セントロ・プリーモ・レーヴィのナタリア・インドリミ(Natalia Indrimi)所長が6月7日付でホロコースト記念博物館に送った書簡によると、パラトゥッチ氏がフィウーメの警察署長だったことはなく、また当時フィウーメにいたユダヤ人は500人程度で、その8割はポーランドのアウシュビッツ(Auschwitz)にあった強制収容所送りとなっていたという。

 また従来説では、パラトゥッチ氏は大勢のユダヤ人を、自分の叔父がカトリック教会の主教として影響力を持っていたイタリア南部カンパーニャ(Campagna)州に送って保護させたとされていたが、そのような事実はなかったという。書簡は「イタリアに抑留されたユダヤ人のデータベースによれば、カンパーニャへ送られたユダや人はわずか40人で、それはパラトゥッチ氏の命令によるものではなかった」と指摘している。

 パラトゥッチ氏がフィウーメに住むユダヤ人に関する書類を破棄し、強制収容所へ送られることがないよう配慮したという説もインドリミ氏は否定。「それらの書類こそ、過去5年間の歴史家たちの主要な情報源となっている。全てリエカのクロアチア政府公文書館で閲覧可能で、関心のある歴史家なら誰でも参照できる」と述べている。

 インドリミ氏はパラトゥッチ氏について、「ユダヤ人迫害というシステムの歯車として働いた公務員の1人」に過ぎず、イタリア・ファシスト政権の人種差別的な政策の「自発的な執行者」として独裁者ベニト・ムソリーニ(Benito Mussolini)に忠誠を誓いナチスに協力した人物だと述べている。(c)AFP/Brigitte Dusseau