【3月5日 AFP】今から1年ほど前、東日本大震災の巨大津波に見舞われた被災地に、生き別れになった幼い息子を捜して毛布にくるまったまま、がれきの中に立ち尽くす若い女性の姿があった。

 あれから12か月、その女性、杉本優子(Yuko Sugimoto)さん(29)は今、家族と再会を果たして仮設住宅に暮らしている。だが、被災者たちの心には大震災の傷跡が今も残る。

   「震災後、明日が来るというのは奇跡なんだって思うようになりました」。震災直後に毛布にくるまった写真を撮影された場所を再訪し、杉本さんは語った。

 毛布を羽織ってがれきの中に立ち尽くす杉本さんの写真は、世界中の新聞や雑誌、ウェブサイトに掲載され、人びとの心を突き刺した。

 写真が撮影されたのは巨大津波の襲来から2日後だった。杉本さんは、凍てつく寒さの中で、たった1人の息子、頼音(らいと)くん(5)を捜していた当時の心境をこう振り返る。「だんだん不安になってくる。(頼音くんが)生きてるのか、それともダメなのかって思って」

■頼音くんとの再会

 巨大な津波が石巻市に押し寄せてきたとき、杉本さんは職場に、頼音くんは幼稚園にいた。

 津波は道路を破壊。その朝、杉本さんが頼音くんを幼稚園に送っていった道は倒壊した建物で遮断されていた。そのうえ、幼稚園の児童は全員流され生存者は1人もいないとのうわさが広まっていた。

 それから3日間、杉本さんは頼音くんを探して、夫とともに避難所という避難所を訪ねて回った。ただ奇跡を願いながら。

 そして3月14日、その祈りが届き、杉本さん夫妻は頼音くんと再会を果たした。

   「涙で頼音の顔も見えませんでした。言葉もなくて」と、杉本さんは回想する。「気がついたら、(息子は)パパに抱っこされてました」

 当時、幼稚園にいた11人の子どもたちは津波警報を聞いて屋根に登り、かろうじて津波を免れていた。子どもたちは凍てつく寒さのなかで屋根の上にとどまり、水が十分に引いた午前2時ごろ、ようやく2階の室内に降り、朝になってからボートで救助されたという。

 こうした苦難を経て、杉本さんの心境にも変化があった。「前は家族がいて明日が来るのが当たり前と思っていました。でも明日がくることは奇跡なんだって。1日1日を大切にしないと、と思います」

■幼い心に残る震災の傷跡

 杉本さんは住宅を失い、財産もほぼ全てなくしながら、それでも自分たちは幸運なほうだったと語る。

 東日本大震災では1万9000人を超える人びとが犠牲となった。このうちの15%あまりは、行方不明のまま死亡と判断された人びとだ。

 震災から1年近くが経つが、現在も数万人の人びとが地元自治体の用意した仮設住宅に暮らしている。杉本さん親子も、そうした1家族だ。

 外見的には、新しい生活にも慣れてきたように見える頼音くん。だが、杉本さんによれば、震災は幼い頼音くんに、今も影響を及ぼし続けている。

 震災後の数週間、頼音くんは津波警報を聞くたびに気分が悪くなった。今でも暗闇をとても怖がるという。「分からないように見えますけど、(心に)傷はついていると思います」と、杉本さんは息子を思いやった。(c)AFP/Miwa Suzuki

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