【4月7日 AFP】最後のバービー(Barbie)人形が台湾の工場の製造ラインから送り出されて20年以上が経過した。工場の元従業員らは今、当時を思い出しながら手作りでバービーの衣装を仕立てている。

 元従業員の女性らが、台北(Taipei)に近い同国北部の泰山(Taishan)のかつて工場があった場所の近くに開いたワークショップでは、台湾や中国の文化から着想した手作りの衣装を着たおよそ100体のバービー人形が展示されている。これらの衣装は販売もされている。

 彼女たちにとって衣装を作ることは奉仕活動だ。衣装を縫い上げながら、米玩具大手マテル(Mattel)の運営する工場が泰山の主要な雇用主だった当時に思いをはせる。

 チョウさんという59歳の女性は、同国南部の貧しい故郷から泰山へ来て工場に勤め始めた18歳のころを笑顔で振り返る。「バービーほど美しいものを見たことがなかった。バービーが大好きだった」。そして「あの仕事に戻りたいですね」と少し寂しそうに語った。

■中国風の衣装も

 展示されている衣装には武則天(Wu Zetian)にヒントを得た豪華なドレスや、台湾のファーストレディーたちの着こなしを意識したものもある。陳水扁(Chen Shui-bian)前総統の呉淑珍(Wu Shu-chen)夫人の衣装をまねたスーツや宝石、車いすが目を引くが、蒋介石(Chiang Kai-shek)の故宋美齢(Soong Mei-ling)夫人から着想を得たチーパオ(チャイナドレス)などもある。

 結婚を控えた女性たちが、記念品として自分のウエディングドレスのミニチュアの制作を依頼することもあるという。

■バービーとともに繁栄した泰山

 マテルが1959年に製造を開始したバービーは欧米の中産階級の少女たちの間で人気を集め、すぐにヒット商品になった。台湾に工場ができたのはその8年後。最盛期には泰山の住民の3人に1人がこの工場で働き、1960年代から70年代にかけて輸出が急増し、地域も繁栄した。

 賃金は平均よりわずかに低いだけの月額900台湾ドル(現在の為替レートで約2700円)でチョウさんのような若い女性には相当な額だったが、1960年代末のバービーの日本での販売価格は1200台湾ドル(現在の為替レートで約3600円)で、従業員には手が届かない高級品だった。

 泰山市民の多くは人生最良の時を工場で過ごしたが、1987年、さらに安い労働力と原材料を求めて工場は中国などに移転した。

 かつての工場従業員らは、マテルが泰山にバービーの博物館か旗艦店をオープンさせることを願っている。ある元従業員は「泰山はバービーの実質的な故郷だから、(オープンが実現すれば)とても意味あるものになると思う」語った。(c)AFP/Amber Wang