【11月23日 AFP】地動説を唱えた「近代天文学の父」ニコラウス・コペルニクス(Nicolas Copernicus)の遺骸(いがい)がDNA鑑定によって確認され、約2世紀にわたって行われてきたコペルニクスの墓探しに終止符が打たれた。

 ポーランドの考古学者Jerzy Gassowski氏は20日、2005年に同国北部のフロムボルク大聖堂(Frombork Cathedral)から発見されたコペルニクスのものと見られる遺骸の頭蓋(ずがい)骨に残っていた1本の歯と、コペルニクスが長年所有していた本に挟まっていた2本の髪の毛のDNAを分析した結果、遺骸がコペルニクスのものだと確認されたと明らかにした。

 コペルニクスの墓の場所については、これまで謎のままだった。ポーランド、フランス、ドイツの研究者らが、約2世紀にわたり捜索していた。

 1473年にポーランド北部トルン(Torun)で誕生したコペルニクスは、数学者である一方でフロムボルク大聖堂の司祭でもあったため、大聖堂の地下に埋葬されている可能性は高かった。

 Gassowski氏は、「フロムボルクの司教が調査を依頼してきた時には、不可能な作業だと思った。大聖堂には数百体の遺体が眠っているのだから」と語った。

 2005年、考古学チームは、大聖堂の聖十字架が掲げられている正餐(せいさん)台で、70歳くらいの男性の遺骸を発見した。頭蓋骨がポーランド警察の法医学研究センターに引き渡され、コンピューターグラフィックを用いて復顔作業が行われた。その顔は、右のまゆの上にある傷など、若き日のコペルニクスに驚くほど似ていた。

 一方、コペルニクスが所有していた書物は、17世紀のポーランド・スウェーデン戦争中にスウェーデンに持ち去られ、現在は同国のウプサラ大学(Uppsala University)に保管されている。

 コペルニクスは、1543年に死去する直前に『天球回転論(De Revolutionibus Orbium Coelestium)』を発表。地球は自転し、太陽の周りを公転すると唱え、同時代の人々に衝撃を与えた。

 それまでの天動説では、宇宙の中心は地球で、太陽や星がその周りを回っているとされていた。この画期的な研究は、1616年にローマ法王パウロ5世(Paul V)から、聖書の内容と相反するとして批判された。

フロムボルクの司教は、「これで、コペルニクスの歴史に残る輝かしい人格にふさわしい墓を建てて、敬意を表することができる」と語った。(c)AFP/Maja Czarnecka