チリのノーベル文学賞詩人P・ネルーダ、未発表作品14点発見
このニュースをシェア
【7月9日 AFP】1971年にノーベル文学賞を受賞したチリの国民的詩人パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda、1904-1973)の未発表作品が数点発見された。妻の姪(めい)である40歳も年下の女性に対する、詩人最後のロマンスが垣間見られる作品だという。
ネルーダ作品のコレクターであるNurieldin Hermosillaさんによれば、発見された14点の作品は「Black Island Album(ブラックアイランドのアルバム)」と題された書物に記されていた。この書物のタイトルは、ネルーダが3番目の妻であるMatilde Urrutiaさんと、その姪であるAlicia Urrutiaとともに暮らしたチリ中心部の自宅にちなんだもの。
Hermosillaさんはこの書物を、「匿名の持ち主」から買い取ったという古書ディーラーから最近購入した。
14作品はネルーダが愛用した緑色のインクにより手書きで書かれており、「詩人が自分のペンを使って姪のAliciaへの愛をつづった直接的かつ明確な証し」だとHermosillaさんは語る。
Hermosillaさんは、沈黙を守り続けてきたAliciaさんが、作品を公にすることで詩人との恋愛関係を明かしたのではないかとみている。「Aliciaは、ネルーダとの恋愛関係を認め、この本を売却することで、自分の立場を正当なものとし、謎に終止符を打とうとしたのでしょう」
ネルーダは数々の恋愛詩と、南米の歴史と人びとを題材にした叙事詩「大いなる歌(Canto General)」で知られる。
チリ共産党の幹部としても知られ、1973-1990年のアウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)軍政においては作品が発禁処分となった。当時の陸軍司令官ピノチェトがクーデターを起こし、軍事評議会が政権を奪取したのは1973年9月11日。ネルーダは奇しくも、そのわずか12日後の9月23日に69歳で死去した。
上院議員や外交官としての経験も有し、共産党の非合法化により国外逃亡を余儀なくされた過去を持つネルーダは1970年、再び合法化された共産党の大統領候補に推されたこともある。
本名はネフタリ・リカルド・レイエス・バソアルト(Neftali Ricardo Reyes Basoalto)で、チェコの詩人ヤン・ネルダ(Jan Neruda)にちなんで筆名をつけた。(c)AFP
ネルーダ作品のコレクターであるNurieldin Hermosillaさんによれば、発見された14点の作品は「Black Island Album(ブラックアイランドのアルバム)」と題された書物に記されていた。この書物のタイトルは、ネルーダが3番目の妻であるMatilde Urrutiaさんと、その姪であるAlicia Urrutiaとともに暮らしたチリ中心部の自宅にちなんだもの。
Hermosillaさんはこの書物を、「匿名の持ち主」から買い取ったという古書ディーラーから最近購入した。
14作品はネルーダが愛用した緑色のインクにより手書きで書かれており、「詩人が自分のペンを使って姪のAliciaへの愛をつづった直接的かつ明確な証し」だとHermosillaさんは語る。
Hermosillaさんは、沈黙を守り続けてきたAliciaさんが、作品を公にすることで詩人との恋愛関係を明かしたのではないかとみている。「Aliciaは、ネルーダとの恋愛関係を認め、この本を売却することで、自分の立場を正当なものとし、謎に終止符を打とうとしたのでしょう」
ネルーダは数々の恋愛詩と、南米の歴史と人びとを題材にした叙事詩「大いなる歌(Canto General)」で知られる。
チリ共産党の幹部としても知られ、1973-1990年のアウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)軍政においては作品が発禁処分となった。当時の陸軍司令官ピノチェトがクーデターを起こし、軍事評議会が政権を奪取したのは1973年9月11日。ネルーダは奇しくも、そのわずか12日後の9月23日に69歳で死去した。
上院議員や外交官としての経験も有し、共産党の非合法化により国外逃亡を余儀なくされた過去を持つネルーダは1970年、再び合法化された共産党の大統領候補に推されたこともある。
本名はネフタリ・リカルド・レイエス・バソアルト(Neftali Ricardo Reyes Basoalto)で、チェコの詩人ヤン・ネルダ(Jan Neruda)にちなんで筆名をつけた。(c)AFP