【9月6日 AFP】日本のポップ音楽界で伝統音楽と現代ポップの合体を生み出した、中孝介(Kosuke Atari、27)。生まれ育った奄美大島で、島の伝統的な声を震わせて歌う島歌を幼い頃に聞いたことはなかった。そして、日本だけでなく中国、台湾でこれほどの人気を集めるとは想像もしてないなかった。 
 
■島歌との出会い
 
 奄美の歌は、伝統的に裏声で声を震わせ、西洋音楽の音階にとらわれない幅のあるメロディーに乗せて歌う。第二次世界大戦後、奄美の住民たちが方言が冷やかな目でみられる都市部で働くようになって、奄美島歌として知られる島の伝統民謡に消滅の危機が訪れた。

 中は、島歌はもう消えてなくなってしまったと思うほど幼少時代に島歌を聞いたことがなかったようで、「幼い頃に本物の奄美島歌を聞いたことはありません。私の両親や親戚も含めて周りには民謡を歌う人はいませんでした。」と話す。初めて島歌に出会ったのは、高校生のときの地域の祭りだという。「私と同い年くらいの女の子が奄美島歌を歌っていて、彼女の歌声を聞いたときは体に電気が走ったようでした。」と中はAFPに語った。

 中はその後、近所のレコード店に駆け込み、何十ものCDを買って裏声を真似したという。奄美大島で開かれた島歌を競う大会で大賞を獲得し、島の注目の的になりやがて全国的に活躍するようになった。「奄美島歌の要素は生まれ故郷、家族、友達への愛のように、深く愛着のあるものが目に入ったときに生まれる、シンプルな感情です。島歌を利用してお金を稼ぐことはしたくないんです。島歌は地域の人の日常生活に深く根付いたものだから。でも、自分の音楽を通して多くの人にメッセージを届けたい。だからポップミュージックと島歌を組み合わせたスタイルをとっています。」と語った。

■アジアでも活躍
 
 昨年メジャーデビューを果たし、今年の夏にはファーストアルバムでオリコン7位に登場している。中のマネージャーを務めるエピックレコードジャパン(Epic Records Japan)のナガシマ・タエコ(Taeko Nagashima)さんによると、中の成功を信じるビジネスパートナーのアドバイスで昨年発売されたデビューシングルは台湾でも同時発売されることになった。

 中の人気は香港のポップスター、アンディ・ラウ(Andy Lau)が2006年に中の楽曲をカバーするに至るまで上昇している。8月には上海と北京でもコンサートを開催。開催地は日本と中国の文化交流をテーマに歌うことを目的に選定され、中は日中の関係修復にも貢献した。

■地元では

 およそ30年前、元小学校校長を含む地元の人々と島歌を守る組織をつくり、奄美大島で楽器店の社長をするイシガキ・マサキ(Masaki Ibusuki、55)さんは、島の若者の成功を喜んでいる。「大変うれしいです。中の成功は何十年もの奄美島歌を復活させる活動の賜物です。」組織をつくったきっかけについて「私たちが何か行動を起こさなければ、島歌が完全に命を絶ってしまうのではないかと心配になりました。それで子どもたちに教え始めたのです。」と電話で語った。

 仕事を求めて本州に移住した島民がいたため、50年代と60年代には奄美方言が差別されることがあった。「学校では、方言を話すと叱られました。自然と伝統的歌を歌うこともなくなっていったのです。悲しいことに、わたしを含めて60歳かそれよりも若い人たちは方言を話すことができません。でも島歌は文化の遺産として価値が高く、生活の教訓や島の歴史が歌詞に表現されています。」とイシガキさんは語った。

 伝統的歌詞の中には、家族や友達の結びつきの大切さを伝えた、愛するもの同士の機知に富んだ会話が表現されている。

 イシガキさんは、活動の成果が見られるという。結婚式や他の機会で島歌を歌う人がどんどん多くなっている。

■今後の活動

 中の音楽のメッセージは、中国人の心にも訴えかけている。香港と台湾で11月、中国に向けたファーストアルバムの発売を予定している。「日中文化・スポーツ交流年」のテーマソングを共に歌う、中国人歌手のハン・シュエ(Han Xue、24)は中について、「彼の声は柔らかく、聞いていて心地いいです。自然で甘く、深い感動を与えてくれます。彼の音楽と中国の民謡はどこか通じるものがあるので、中国の人々も彼の歌を好きになると思います。」と東京を訪れた際に語った。

 海外での高い人気を得ても決して故郷のことは忘れないと語る中は、もし成功していなかったら何をやっていたかという質問に対し、「おそらく、毎日島歌を歌い続けて、何か他のことで生計を立てていたでしょう。」と語った。(c)AFP/Kyoko Hasegawa