【6月27日 AFP】エジプト政府は27日カイロ市内で記者会見し、1903年にルクソール(Luxor)の「王家の谷(Valley of the Kings)」で見つかったミイラが、古代エジプト新王国第18王朝期のハトシェプスト(Hatshepsut)女王と特定されたと発表した。

 会見したエジプト考古最高評議会のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)事務局長によれば、今回ハトシェプスト女王と特定されたミイラは、1903年に「王家の谷」にある墓の1つから発見された女性の2体のミイラのうちの1体。古代エジプト新王国時代のミイラ4体を対象に科学的な検査を行った結果、抜けた1本の歯が決め手となって特定された。

 ハトシェプスト女王は古代エジプトの女王としては最も有名で、付け髭をつけていたことで知られる。紀元前1479年から紀元前1458年までの21年間を統治。古代世界で最も権力をふるった女性君主のひとりで、夫で異母兄のトトメス2世(Tuthmosis II)の死後、自らファラオ(王)を称した。

 米国のドキュメンタリー専門テレビ「ディスカバリー・チャンネル(Discovery Channel)」は、ハワス事務局長が記者会見より前に、「(1922年の)ツタンカーメン(Tutankhamun)の発見以来、エジプトの王家の谷における最も重要な発見」と今回の発見を評したと伝えた。

 1903年、ツタンカーメンの発見で有名になった考古学者のハワード・カーター(Howard Carter)氏は、古代都市テーベ(Theban、現ルクソール)の墓地遺跡のKV60と名付けられた墓から2つのサルコファガス(石棺)を発見。

 棺の1つに納められていたミイラはハトシェプスト女王の乳母Sitre-Inと思われたが、もう1つの棺から見つかった女性のミイラは身元が特定できなかった。

 1920年、カーターはハトシェプスト女王の墓を発見したが、2つの棺は空だった。

 ディスカバリー・チャンネルによると、ハワス事務局長は、調査の対象をカーターが1903年に発見した2体の女性のミイラに絞ることができたという。そして、CTスキャナー撮影により3D画像を作成。2体のうち1体の身体的特徴をハトシェプスト女王の子孫のものと結びつけた。さらに、歯が収められていた箱には女王の名前が刻まれており、CTスキャナーで撮影したところ、「(箱の歯は)ミイラの臼歯が抜けた隙間と1ミリの狂いもなく一致した」。

 ディスカバリー・チャンネルは今回の発見についての番組を7月に放送する予定。(c)AFP


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