【プノンペン/カンボジア 26日 AFP】ポル・ポト(Pol Pot)政権時代に虐殺された犠牲者の遺骨が国内に大量に散在するカンボジアで、フン・セン(Hun Sen)首相は26日、これらの遺骨の火葬を行わない方針を明言した。

 ポル・ポトの率いたクメール・ルージュ(Khmer Rouge)による虐殺の歴史的証拠として残すべきだと首相は述べ、仏教習慣に即した火葬を求める世論に応じることを拒否した。

 「キリング・フィールド」と呼ばれる集団虐殺・埋葬地の中で最もよく知られるプノンペン(Phnom Penh)郊外チュンエク(Choeung Ek)村で26日に演説したフン・セン首相は、犠牲者の遺骨を火葬することにより、国連(UN)の支援を受けて開催を予定されているポル・ポト派特別法廷が阻害されることに懸念を抱いた。

 同法廷は国連とカンボジア政府の共同出資で国内法廷として設置を予定している。設置をめぐり両者の意見対立が絶えないことや、国連負担金分の拠出国らがカンボジアに求める反汚職法の制定が遅れていることで開廷が大幅に遅れている。

 「我々は人びとの遺体を観光客の目にさらすままにはしておきたくない。しかしそれ(遺骨)は大虐殺の証拠でもある。犠牲者の魂が転生できるよう、遺骨を火葬するべきだという要望があるが、遺骨が消えれば特別法廷は開廷できなくなるだろう」とフン・セン首相は述べた。

 1975年~79年のポル・ポト政権時代、同政権は共産主義に基づいた農村ユートピアを建設するとして宗教や私有財産、通貨制度や学校制度を廃止した。しかしこの間、知識人や反対派の虐殺、強制労働で約200万人が死亡したと推定される。ポル・ポトは1989年に死去し、当初は昨年末に開廷する予定だったポト派特別法廷を待つ原告のうち、拘留中の元幹部は1人のみだ。

 犠牲者らの遺骨について、ノロドム・シアヌーク(Norodom Shhanouk)前国王も昨年、「観光客の楽しみのため」に放置されるのではなく、仏教の習慣に従って火葬されるべきだと述べた。

 カンボジアの地方部では処刑場とされた僧院や学校などの公共施設に、何万人分もの頭蓋骨など遺骨が山積みにされ「虐殺のモニュメント」となっている。何か所かは観光地化しており、チュンエクには昨年1年間で10万人が訪れた。

 「訪れる人びとはポル・ポトがどれほど残酷だったのかを知りたがっている。遺骨を燃やしてしまえば、虐殺の歴史を誰もが信じようとしなかった1980年代と同じ状態に戻ってしまうだろう」とフン・セン首相は述べた。

 写真はプノンペン南郊25キロのカンダル(Kandal)県にある仏塔で、自分の親族を含む犠牲者の頭蓋骨を前に祈る54歳の男性。同県のKoh Kor島ではクメール・ルージュ時代、7000人が虐殺された(2005年9月22日撮影)。(c)AFP/TANG CHHIN SOTHY