技と創意で広がる抹茶の香り 中国から世界へ
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【9月29日 CNS】抹茶(Matcha)と聞くと日本を思い浮かべる人が多いかもしれないが、その起源は中国にある。古くは「末茶」と呼ばれ、魏晋時代に始まり、唐から宋の時代に日本へ伝わった。いまや世界各地で親しまれている抹茶製品。その原料の多くは、中国南西部の貴州省銅仁市から出荷されている。
貴州省(Guizhou)銅仁市(Tongren)江口県の凱徳工業園にある貴州貴茶集団(GUITea)の抹茶工場では、従業員が封入された抹茶粉末を世界各地に発送する作業に追われている。ここは中国、さらには世界でも有数の抹茶生産拠点であり、中国は現在、世界最大の抹茶生産国。そのうち4分の1が銅仁産だ。
銅仁は北緯27度に位置し、低緯度・高標高・多くの霧といった自然条件が茶の栽培に適している。現在、抹茶原料用の茶畑は6万1600ムー(約4100ヘクタール)に広がり、碾茶の生産ラインは45本を数える。さらに世界最大規模の単体抹茶工場を2棟擁し、「世界の抹茶スーパー工場」と呼ばれている。2024年には抹茶の販売量が1200トンを超え、産出額は3億元を突破。生産量と販売量で中国一、輸出量で世界2位となった。
「良い抹茶は輸入品だと思っていましたが、銅仁の抹茶もとても質が高いんです」。中国のネットユーザーで「抹茶好き」を自称する「一只rhea」は、貴州旅行をきっかけに銅仁抹茶のファンになったという。
貴茶集団技術部総経理の韋勇(Wei Yong)氏は「抹茶は原料そのものを口にするため、品質への要求は非常に高い。高水準のグリーン栽培と精密な碾茶技術によってこそ、栄養分と独特の風味を最大限残すことができる」と話す。
銅仁抹茶が海外市場で広がった理由は、栽培から加工までの徹底した管理にある。茶畑に日よけを設けて品質を高め、蒸気で殺青して鮮やかな緑を保持し、さらに低温での碾磨によって香りと鮮度を保つ。この技術基準が国際市場での信頼につながっている。今年2月には、欧州規格に適合した抹茶2トンが銅仁から出荷され、6日間で日本・清水港に到着。銅仁産抹茶が初めて大規模に日本へ輸出された。3か月後には62トンがヨーロッパと日本に向けて出荷され、現在は世界40以上の国と地域に輸出されている。
抹茶は「古い伝統」であると同時に「新しい特産品」でもある。その一例が浙江省(Zhejiang)余杭区の径山茶だ。唐代から続く径山茶宴(古代の茶会儀礼)は、日本臨済宗の開祖・栄西禅師も訪れたとされる。彼は著書『喫茶養生記』に「日本の茶道は宋代の径山から伝わった」と記している。現在、径山を発祥とする新しい抹茶飲料が、「一撕、二拧、三摇(開けて、回して、振る)」という手軽な飲み方で、パリの街角を席巻している。
古代の抹茶文化はいま、創意と技術によって新たな命を得ている。浙江省では最近、「径山智能抹茶機」が開発され、宋代の「七湯点茶法」を正確に再現できるようになった。また、抹茶麺、抹茶豆腐、抹茶クラフトビールといった新商品が次々に登場し、抹茶の可能性を広げている。
今年9月には、複数の国際的シェフが貴州に集まり、抹茶をテーマにしたフュージョン料理を披露した。世界の味覚をつなぐ「緑の架け橋」としての抹茶の魅力を示すイベントとなった。
千年前、中国の抹茶は海を越えて日本に伝わった。いま、貴州・梵浄山の麓に広がるスーパー工場から、京都の茶室、パリの街角のドリンクスタンドへと、その翠緑の香りが広がっている。伝統の技と新しい発想が融合し、世界にかつてない活力を放っている。(c)CNS/JCM/AFPBB News