【12月1日 CGTN Japanese】冷戦期の米国務長官として外交政策を担ったヘンリー・キッシンジャー氏が現地時間11月29日に米コネチカット州の自宅で死去しました。100歳でした。キッシンジャー氏が設立した政治コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」が発表した追悼文では、「中国」が11カ所言及されました。一方、太平洋のこちら側の中国では、国の最高指導者から一般市民やネットユーザーまで、各界の人々がキッシンジャー氏を偲びながら、その逝去に哀悼の意を表しています。

 多くの中国人にとって、キッシンジャー氏は「中国人民の古い友人」「中米関係正常化の推進者」「戦後の国際秩序に大きな影響を及ぼした戦略家」「1973年ノーベル平和賞受賞者」など、多くの顔を持つ政治家です。今年7月、100歳の誕生日を迎えたばかりのキッシンジャー氏は再び中国を訪れました。彼の生涯で中国への訪問は100回を超えますが、そのうち最も有名なのは1971年の極秘訪中でした。

 極秘訪中したキッシンジャー氏の中国側通訳を担当していた唐聞生さんは当時の様子を振り返りました。「1971年にキッシンジャー氏が中国を訪れた際、北京市内の釣魚台国賓館に宿泊していた。室内の家具やインテリアは中国式のもので、掛け軸などの工芸品が飾られており、中国文化あふれる居住環境だった。キッシンジャー氏はこれに強い興味を示し、タイトなスケジュールの中で半日の時間を作って紫禁城こと故宮博物院を見学した。中米関係の分野において、キッシンジャー氏は中米関係について先見性を持っており、それは彼が真に中華文明の“根底にあるもの”を理解していたからだ」と唐さんは語りました。

 劉馥敏さんは北京釣魚台国賓館のスタッフで、訪中したキッシンジャー氏に何度も仕えました。劉さんはキッシンジャー氏を偲びながら、一つのエピソードを教えてくれました。「1回目の訪中では、誰もキッシンジャーさんが米国人だと知らなかった。2回目の訪中で、彼の応接間とダイニングルームの間に卓球台を置くようにと言われたが、3回目の訪中の時には、彼はもう、みんなと一緒に卓球をやるようになっていた」と振り返りました。

 冷戦時代に育った外交官として、キッシンジャー氏は中国の歴史文化や哲学思想を理解することを非常に重視していました。その著書『中国論』には「歴史」という言葉が234回も使われており、中国古代の儒家思想や『孫子の兵法』が128回も引用されています。キッシンジャー氏は『中国論』の序文に、「中華文明の特徴の一つは、ほとんど起点がないように見えることだ」とつづっています。

 100回以上も中国を訪れた正真正銘の「中国通」であるキッシンジャー氏は、中国との向き合い方を「囲碁」の視点から説明し、「囲碁を打つ時は、盤上の碁石を読むだけでなく、盤上に見えない、その先の“勢”を読み取る必要がある。より柔軟的な戦略思考が大切だ」と指摘しました。

 中国国内で最初にキッシンジャー氏を研究した著書を発表した龔洪烈さんは、キッシンジャー氏のことを偲びながら、「真の傑出した政治家は、キッシンジャー氏のように時間と空間を見抜く視野を持ち、大きな歴史の流れに従い、いっときの渦には巻き込まれない」と述べました。(c)CGTN Japanese/AFPBB News