「地獄だった」 解放の85歳女性、人質体験を語る
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【10月25日 AFP】パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)を実効支配するイスラム組織ハマス(Hamas)に解放された人質の一人、イスラエル人女性のヨヘベット・リフシッツさん(85)は24日、「地獄を体験した」と人質になっていた当時について語った。また、7日の襲撃を阻止できなかったとしてイスラエル政府を非難した。
7日に拉致された人質推定220人超のうち、これまでに4人が解放された。一方、ハマスは20人以上の人質がイスラエルの攻撃で死亡したと主張している。
リフシッツさんはテルアビブの病院前で車イスに乗った状態で取材に応じた。娘が通訳を務めた。
リフシッツさんは、ハマスに襲撃されたガザ地区との境界に近いニルオズ(Nir Oz)キブツ(生活共同体)に住んでいた。一緒に拉致された夫は今も拘束されている。
住民によると、ニルオズでは100人以上が殺害された。
リフシッツさんは「地獄を経験した」と話した。拉致の際にバイクに乗せられ、戦闘員に殴打された。「肋骨(ろっこつ)は折れなかったが、ひどく痛かった」と言う。
「地下に入り、クモの巣のように張り巡らされた、湿ったトンネルの中を何キロも、2、3時間歩いた」
リフシッツさんは25人ほどの人質とホールに入れられ、それからニルオズ住民の4人と共に別の部屋に移されたという。部屋にはマットレスがあった。
拘束中の「待遇は良かった」と話す。2、3日に一度医師がやってきて、薬を提供した。
解放時になぜ覆面のハマス戦闘員と握手をしたのかとの質問には「彼らは親切にしてくれた。必要なものはすべて提供してくれた」と答えた。
リフシッツさんによると、トイレは毎日掃除されていた。ハマスの監視は感染症の流行を恐れていたという。
監視役は「とても友好的」で「礼儀正しい」人たちだったと話す。
「長期間かけて用意をしてきたようだった。シャンプーなど、男女が必要なものは全てそろっていた」
またハマスの監視たちと同じものを食べた。「クリームチーズと溶けたチーズ、きゅうりを挟んだピタパン。1日の食事はそれだけだった」
リフシッツさんは襲撃の3週間前に、ハマスが焼夷(しょうい)装置を付けた風船をキブツの農地に向けて飛ばしていたことに触れ、警告として捉えるべきだったと当局を非難した。
「畑を焼くために火の風船を飛ばすなど、(ハマスは)自分たちにどういった能力があるのかを示していたのに、イスラエル軍は真剣に捉えなかった」と非難した。
病院によると、リフシッツさんの健康状態は良好だ。
リフシッツさんは16日間の拘束は「とても不快で大変だった。記憶が焼きついていて、起きたことを鮮明に思い出す」と話した。(c)AFP/Delphine Matthieussent