【11月26日 AFP】南アジアの食通を束ね、あるいは二分するスパイシーな米料理、ビリヤニ。パキスタンの最大都市カラチ(Karachi)では、通りを挟んで2軒のビリヤニ専門店がしのぎを削っている。

 パキスタンの建国後、カラチではビリヤニ・ブームが巻き起こった。店ごとの微妙な味の違いこそが、ビリヤニ通の舌と心を刺激する。

 ムハンマド・サキブさん(36)は「うちのビリヤニは前の店と違うというだけでなく、世界で唯一無二」と言い、骨髄のだしで炊き込んだビリヤニにハーブを乗せる。

 向かいの店のムハンマド・ザインさん(27)は「ここでビリヤニ屋を始めたのはうちが最初」と主張する。「オリジナルレシピは秘密だ」

 だが、2人の意見が一致することが一つある。

「パキスタンみたいなビリヤニは、世界中どこでも見つからないと思う」とサキブさん。ザインさんは「祝い事などの席で、ビリヤニはまず欠かせない」と話す。

 英国の南アジア植民地支配は1947年に終焉(えん)したが、同時にこの地域は宗教的な境界線に沿って断絶してしまった。

 新生パキスタンのヒンズー教徒とシーク教徒はインドへ逃れ、インドのイスラム教徒はパキスタンへ逃れて「モハジール(Mohajir)」と呼ばれた。以来、両国は宿敵として紛争を繰り返している。貿易や観光による往来もほとんどない。

 モハジールの多くが住み着いたカラチは、1947年の人口40万人から、今や2000万人を擁する世界有数の大都市となった。

 インド料理史研究家のプシュペシュ・パント(Pushpesh Pant)さんは、南アジアのるつぼのようなカラチのビリヤニは共通する文化を再認識させると話す。「パキスタンの一部とインドの一部の料理や味の違いは、人が引いた国境から考えるほど大きくない」