【4月19日 Xinhua News】中国湖北省(Hubei)襄陽市(Xiangyang)は長江最大の支流、漢江の中流域に位置し、古くより各地の商人が集い、英雄が天下を争う地だった。

 同市文物管理処の黄健(Huang Jian)副主任によると、襄陽城は北に漢江が流れ、東西南の三方を幅130~250メートルの堀で囲まれており、守りやすく、攻めにくいことから「鉄の襄陽」と呼ばれた。後漢末期の建安24(219)年に蜀の大将、関羽(かん・う)が曹操(Cao Cao)軍の守る襄陽と樊城を攻めた際、樊城外で大勝を収めたのに襄陽を攻略できず撤退したのも、襄陽城の特殊な構造のおかげだったという。

 黄氏は「古代の城壁は軍事防衛が目的だったが、時を経ると漢江に隣接する城壁は人々を洪水から守る役目も担った。今では襄陽の人々が往時をしのび、地元文化に対する自信を感じる対象になった」と述べた。

 改革開放以降は、量的拡大だけでなく質的向上も見られた。現在の襄陽市は漢江の中州、魚梁洲を中心に、江南は豊かな文化を持つ襄城区、江北は商業が栄える樊城区と工業が集中する襄州区、江東はイノベーションと現代化が進む東津新区に分かれており、漢江を挟んで南の襄陽、北の樊城という2800年続いた都市構造から「一つの中心と四つの地域」が互いに連携する新たな時代を迎えた。

 新たな都市計画は、襄陽に外への発展と内への吸収という新たな原動力を与えた。昨年1年間に新設された市場主体(企業や個人事業主など)は前年比18・8%増の12万6千社、就職や起業した大卒新卒者は約3万人となった。

 現在の襄陽市は国が定める中部地域の重点都市であり、漢江流域の中心都市、重点支援対象の省域副都心でもある。(c)Xinhua News/AFPBB News