【2月19日 AFP】ロシアによるウクライナ侵攻開始から24日で1年を迎える。AFPフォトグラファーが捉えた象徴的な写真10枚と共に、1年を振り返る。

■2022日2月24日:衝撃

 数週間前から臆測が広がってはいたものの、ロシアの隣国ウクライナへの侵攻は同国のみならず、世界に衝撃を与えた。

 AFPフォトグラファー、アリス・メシニス(Aris Messinis)が捉えたオレナ・クリロさん(52)の血まみれの顔に刻まれた衝撃は、ウクライナ自体が受けた衝撃を映し出している。

 オレナさんは何が起こってもロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領には「従わない。死んだ方がましだ」と毅然(きぜん)と話した。

ウクライナ東部リシチャンスク・チュグエフで、病院の外に立つオレナ・クリロさん(2022年2月24日撮影)。(c)Aris Messinis / AFP

■2022年3月7日:国外避難

 侵攻開始後間も無く、車、バス、電車そして徒歩で多数のウクライナ人が国外に避難した。

 兵役の対象となる成人男性は出国を禁じられたため、胸が締め付けられるような別れが各地で見られた。AFPフォトグラファー、ブレント・クルチ(Bulent)の写真は、オデーサ(Odessa)の駅で娘を見送る父親を捉えている。

ウクライナ南部オデーサの鉄道駅で、避難する娘に別れを告げ父親(2022年3月7日撮影)。(c)BULENT KILIC / AFP

■2022年4月2日:ブチャの恐怖

 侵攻から1か月後、首都キーウ制圧に失敗したロシア軍はウクライナ北部からの撤退を発表した。ロシア軍が占拠していた町々には恐怖が残されていた。

 4月2日、AFPは国際メディアとして初めて、解放されたばかりのキーウ郊外ブチャ(Bucha)に入った。そこで記者らは、住宅街の通りに少なくとも20人の民間人の遺体が点々と放置されているのを発見した。中には後ろ手に縛られている遺体もあった。

 AFPフォトグラファー、ロナルド・シェミット(Ronaldo Schemidt)が配信した写真をきっかけに、世界中で非難が巻き起こった。戦争犯罪だとの声も上がったが、ロシアは関与を否定している。

■2022年4月12日:廃虚となったマリウポリ

 ウクライナ侵攻の最初の半年を象徴する街となったのは、3か月にわたる包囲戦で壊滅状態となった南部の港湾都市マリウポリ(Mariupol)だ。

 AFPフォトグラファー、アレクサンダー・ネメノフ(Alexander Nemenov)は4月12日、ロシア軍が企画したメディアツアーに参加し、破壊された劇場内部を撮影した。爆撃があった当時、劇場内には民間人数百人が避難していた。

ウクライナ南東部マリウポリの劇場を巡回するロシア兵。ロシア軍主催のメディアツアーで(2022年4月12日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / AFP

■2022年6月15日:ドンバスの戦い

 ロシア軍はウクライナ北部撤退後、東部ドンバス(Donbas)地方に戦力を集中させた。同地方の一部は14年以来、親ロシア派武装勢力の支配下にある。

 戦力で劣るウクライナは世界中により強力な武器の供給を訴えた。フランスは155ミリ自走榴弾(りゅうだん)砲「カエサル(Caesar)」を供与した。

 AFPフォトグラファー、アリス・メシニスは、ドンバス地方クラホベ(Kurakhove)でロシア軍に向かって砲撃するカエサルを捉えている。

ウクライナ東部ドンバス地方で、フランス製の155ミリ自走榴弾砲「カエサル」を発射するウクライナ兵(2022年6月15日撮影)。(c)ARIS MESSINIS / AFP

■2022年10月8日:クリミア橋爆発

 ロシアが2014年に併合したウクライナ南部クリミア(Crimea)半島とロシア本土を結ぶ、プーチン大統領肝入りの「クリミア橋(Crimean Bridge)」で爆発があり、一部が崩落した。

 クリミア併合のあしき象徴だった橋から炎と黒煙が上がる画像が拡散されると、ウクライナ人はソーシャルメディアで喜びに沸いた。

 ウクライナ政府は攻撃への関与を否定している。

 写真は匿名希望の一般人が、クリミアのケルチ(Kerch)から撮影した。

クリミア半島とロシア本土を結ぶクリミア橋で、トラックの爆発により発生した火災(2022年10月8日撮影)。(c)AFP

■2022年10月17日:自爆ドローン

 10月17日に起きた、キーウなどのエネルギーインフラが主に狙われた自爆ドローンとミサイルによる攻撃は、クリミア橋爆発の報復だと考えられている。

 早朝にイラン製自爆ドローンがごう音を響かせながら飛来した。

 AFPフォトグラファー、千葉康由(Yasuyoshi Chiba)が捉えた頭上を通り過ぎたドローンは、100メートルほど離れた場所で爆発した。

ウクライナ・キーウ上空を飛行する無人機(2022年10月17日撮影)。(c)Yasuyoshi CHIBA / AFP

■2022年11月13日:ヘルソン解放

 11月9日、ロシア軍はウクライナ軍の反撃を受け、侵攻初期から占領してきた南部ヘルソン(Kherson)からの撤退を余儀なくされた。

 AFPフォトグラファー、ブレント・クルチの撮影した写真には、撤退から4日後にウクライナ兵を歓迎するヘルソン市民が捉えられている。住民の高揚感に、ロシアが攻撃を続けるかもしれないという恐怖心が陰りを落としていた。実際ロシアは攻撃を繰り返している。

ウクライナ南部ヘルソンで、解放を祝い兵士にキスをする男性(2022年11月13日撮影)。(c)Bulent KILIC / AFP

■2022年11月13日:ゼレンスキー大統領、米首都ワシントン訪問

 コメディー俳優から政治家に転身したウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は侵攻が始まると、強大なロシア軍と戦うために世界に支援を訴える不屈の最高司令官という、これまでにない大役を担うことになった。

 西側諸国の議会でオンライン形式の演説を次々と行い、武器の提供と支援を訴えた。

 こうした外交戦略は12月の米首都訪問で最高潮を迎えた。侵攻開始後初めての外国訪問だった。

 AFPフォトグラファー、ジム・ワトソン(Jim Watson)は、議会での演説で「ウクライナは決して降伏しない」と訴え、スタンディングオベーションを受けたゼレンスキー氏を捉えている。

米連邦議会で演説するウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(手前)と、それを聞くカマラ・ハリス米副大統領(後列左)、ナンシー・ペロシ下院議長(2022年12月21日撮影)。(c)Jim WATSON / AFP

■2023年2月1日:塹壕戦

 侵攻から数か月後には、両国の戦闘は第1次世界大戦(World War I)時の塹壕(ざんごう)戦の様相を呈してきた。両国の兵士は、極寒のみじめな状況に耐えている。

 AFPフォトグラファー千葉康由は、最も長く激しい戦闘が続く東部バフムート(Bakhmut)近くで塹壕を掘る兵士の姿を捉えている。(c)AFP/Clare BYRNE and Catherine TRIOMPHE

ウクライナ東部バフムートで、塹壕(ざんごう)を掘る兵士(2023年2月1日撮影)。(c)YASUYOSHI CHIBA / AFP