【2月13日 CGTN Japanese】中国西部にある陝西省考古研究院の発表によりますと、陝西省韓城市の陶渠(タオチュ)遺跡で西周(BC1046-BC771)と東周(BC770-BC256)の「甲」字型の陵墓8基が発見され、そのうちの7基の発掘作業が行われたということです。考古学者らは、陶渠遺跡を西周・東周時代の「京」国の所在地だと推定し、周王朝の分封制(封建制)、政治地理、「夷夏(いか)の融合」などの問題を研究する上で高い学術的価値を有するものだとしています。

 陶渠遺跡は陝西省韓城市芝陽鎮陶渠村の北東に位置し、考古学者による調査で、総面積は約80万平方メートルに達する西周・東周時代の遺跡が発見されました。東西に横切る壕を北端とし、地位が高い人々が暮らす高級居住エリア、一般居住エリア、大・中型墓葬エリア、小型墓葬エリアなどに分かれており、その中から、西周末期から春秋初期のものとみられる大型の「甲」字型陵墓8基が見つかりました。

 陝西省の考古学者は、2020年5月から同遺跡の考古学調査と発掘作業を実施し、特に墓葬エリアで重点的に発掘を行いました。文献などの記録を参考し、考古学者らは、陶渠遺跡を西周・東周時代の「京」国の遺構とし、西周末期の王室の重臣である京氏一族の領地だったと推定されると示しました。さらに、墓の規模や付属の車馬坑、墓室に通じる道に埋葬された馬車や馬などから、この8基の甲字型陵墓の主は「京」国の王とその夫人である可能性があると見られています。

 西周末期の王室の重臣である「京」氏の一族は秦国の王室と同じ祖先を持つ子孫で、いずれも姓を「嬴(えい)」とし、東の方から移ってきたとされています。この一族は、西周の青銅器に鋳込まれた金文には「京夷(きょうい)」や「秦夷(しんい)」などと記されていましたが、度重なる移動の末に周王朝に陶渠の地に封ぜられたとされています。(c)CGTN Japanese/AFPBB News