■飛躍のきっかけ

 もっとも、スーパースターへの道のりは、決して平たんではなかった。若手時代から才能には恵まれていたが、激しい気性のせいで成長が危ぶまれた。本人も「コートできちんとし、適切な振る舞いをするのが難しい時期があった。私にとっては大きな課題だった」と認めている。

 フェデラーが一躍脚光を浴びたのは、わずか19歳で憧れのピート・サンプラス(Pete Sampras)を破った2001年のウィンブルドン。しかし、翌年のウィンブルドンでは1回戦で敗退した。再起を誓うきっかけになったのは、その年に個人的な悲劇を経験したことだった。

 フェデラーが21歳になる直前、少年時代に指導を仰ぎ、非常に慕っていたピーター・カーター(Peter Carter)氏が南アフリカで交通事故に遭い、命を落としたのだ。そこからフェデラーは、華麗に勝つことに全力を注ぐようになり、自分の心の弱さに負けることはもうなくなった。

 1981年8月8日、スイス人の父親ロバートさんと南アフリカ人の母親リネットさんのもと、バーゼル(Basel)で生まれたフェデラーは、8歳のときに本格的にテニスを始めた。1998年にプロへ転向し、2001年に伊ミラノ(Milan)大会でATPツアー初優勝を飾ると、その後は2016年と全豪オープンしか出場できなかった2020年、同じく数大会の出場にとどまった2021年を除き、毎年タイトルを積み重ねた。

 2016年には、1組目の双子の娘のために風呂の準備をしていた際に膝を負傷し、初めての長期離脱を経験したが、心機一転となった2017年に復活を果たし、全豪オープンで5回目、グランドスラム通算18個目のタイトルを獲得した。

 グランドスラムではウィンブルドン8勝、全豪オープン6勝、全米オープン(US Open Tennis Championships)5勝、全仏オープン(French Open)1勝を挙げた。マスターズ1000(ATP Masters 1000)大会は通算28勝。2008年の北京五輪では、親友スタン・ワウリンカ(Stan Wawrinka)と組んだダブルスで金メダルを獲得し、2014年にはスイス代表として国別対抗戦のデビスカップ(Davis Cup)優勝を果たした。

 ナダルとノバク・ジョコビッチ(Novak Djokovic、セルビア)と同時代に現役を過ごしていなければ、トロフィーのコレクションはもっと見事なものになっていた可能性もある。

 驚くほど息の長いキャリアを過ごす中で、グランドスラムではウィンブルドン119試合(105勝14敗)、全豪オープン117試合(102勝15敗)、全米オープン103試合(89勝14敗)、全仏オープン90試合(73勝17敗)に出場した。

 2019年のウィンブルドン決勝で、ジョコビッチに痛恨の敗戦を喫する前日、フェデラーは引退のタイミングは定めていないと話していた。

「妻とはいつも話し合っている。家族や子どもたちのこと、みんな遠征暮らしに満足しているか、荷造りをして5、6、7週間の旅に出ることがうれしいか、それを続けたいかをね」

「現時点では、まったく問題はないようだし、それは素晴らしいことだ」

 それでも、負傷と新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)によって失われた2020年と、思うような復帰にならなかった2021年を経て、フェデラーの「素晴らしい時間」はついに終わりを迎えた。(c)AFP/Dave JAMES