片足失ったアゾフ連隊隊員、戦闘や拘束体験振り返る ウクライナ
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■製鉄所から担架で搬送
製鉄所内の状況は急激に悪化したものの、ジャイウォロノクさんら隊員は、士気を保つことができたという。「(製鉄所での)最終段階では、最後の戦闘のようなものを予期していた。われわれはそれを待ち望み、覚悟もできていた」と述べた。
ところが、5月15日に対戦車ミサイルに被弾した。防空壕内に設けられた医療施設に担ぎ込まれ、仮設の手術台の上で死の瀬戸際に立った。爆発で右目もひどく負傷し、翌日には足を切断する手術を受けた。
製鉄所から運び出される前にわずか数秒間、意識を取り戻した。その際に、ロシア軍がウクライナ侵攻のシンボルとする「Z」の文字が記された軍服を着たロシア兵を見たのを覚えている。
重傷を負っていたため、親ロシア派武装勢力が実効支配する東部ドネツク(Donetsk)州のオレニフカ(Olenivka)の捕虜収容施設に送られた仲間たちのような運命はたどらなかった。同施設では先月、爆発があり、ウクライナ人の捕虜数十人が死亡したと伝えられる。
しかし、ジャイウォロノクさんがドネツク州にある病院で過ごした数週間に及ぶ拘束生活は、違った形の苦しみを与えた。「身内に連絡できず、電話も使えなかった」。医療は「極めて低水準」で薬も不足していた。「重傷を負っていたのに5日目まで抗生物質を投与されなかった。自分はまるで腐って汁がしたたる肉のようだった」
同じ病室になったジャイウォロノクさんと3人の隊員は、「心臓が停止しないために」必要なだけの量の食事を与えられた。そして、「わたしたちは誰からも必要とされておらず、ウクライナ政府は誰とも交換することはないだろう。見捨てられた存在だと毎日のように聞かされた」
1か月半の拘束生活は、予告なしに終わりを告げた。「午前4時に起こされ、リストが読み上げられた。外に連れ出され、わたしたちが乗せられたバスは夜まで一日中走り続けた」。ジャイウォロノクさんと他の負傷したウクライナ捕虜100人余りは、捕虜交換により病院を後にした。
「ウクライナ領内に入り、(ロシアの)大砲が届かない場所に来るまでは生きた心地がしなかった」と移送時を振り返った。
「ウクライナの医師たちにたくさんの仕事を持ち帰ってきた」と軽口をたたく。職業軍人のジャイウォロノクさんは、負傷したものの、一定の職責は果たすつもりだという。
落ち着いて話していたジャイウォロノクさんの声のトーンが少しだけ揺らいだ瞬間が一度だけあった。ロシアの拘束下にあるウクライナ人捕虜数千人について触れた時だ。
「この問題があるために穏やかになれない。内側から締め付けられるようだ。彼らが戻ってきた時、もっと楽に呼吸できるようになるだろう」 (c)AFP/Dmytro GORSHKOV
