【8月10日 AFP】ニュージーランド競馬のレース中に落馬し、重体となっていた柳田泰己(Taiki Yanagida)騎手が9日に亡くなった。地元の病院が10日、発表した。訃報を受け、各所から哀悼のメッセージが寄せられている。

 マナワツ(Manawatu)を拠点とする28歳の柳田騎手は、3日にケンブリッジ・ジョッキークラブ(Cambridge Jockey Club)で行われた競走で落馬し、頭部と脊椎を負傷。人工的な昏睡(こんすい)状態で生命維持装置につながれていたが、9日夜に死去した。

 統括団体のニュージーランド・サラブレッド・レーシング(NZTR)は発表文で、柳田騎手の母親と妹が5日にニュージーランドへ飛び、後輩の熊谷勇斗(Yuto Kumagai)騎手も柳田騎手のもとを訪れたことを明かした。

 NZTRのブルース・シャーロック(Bruce Sharrock)最高経営責任者(CEO)は、柳田騎手が先頃、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行に伴う渡航制限でしばらく帰れなかった日本へ戻り、1か月家族と過ごしたことを明かし、「そのときの思い出が慰めになることを願う」と話した。さらに、同国ケンブリッジ(Cambridge)近郊のマタマタ(Matamata)にあるウェックスフォード厩舎(きゅうしゃ)で一緒に働く人々は、「タイキのニュージーランドでの家族であり、全員が彼の死に衝撃を受けるだろう」と続けた。

 ニュージーランドの競馬界で「タイガー」と呼ばれた柳田騎手は、18歳になってから競走馬に乗り始め、オーストラリアを経てニュージーランドへ移住した。報道では、ニュージーランドで162勝を挙げ、今季はシーズン50勝という目標を犠牲にして家族と会うために帰国し、7月中旬にニュージーランドへ戻っていたと伝えられている。

 現地では、ニュージーランドの元トップ騎手で、現在はマタマタの厩舎で一流調教師として働くランス・オサリバン(Lance O'Sullivan)氏の下で腕を磨いた。

 オサリバン調教師は、地元紙ニュージーランド・ヘラルド(New Zealand Herald)に対して「彼は好青年で、キャリアに対して非常に一生懸命だった」と話すと、「こちらへ来た当初は生来のジョッキーではなかったが、よく頑張ってどんどん成長していった」と称賛し、「彼を知るすべての人と競馬界にとって、非常に悲しい日だ」と悼んだ。

 ニュージーランドへやって来て以来、先輩である柳田騎手に助けられていた見習いの熊谷騎手は「本当に特別な友人で、何週間か前には、今季は僕を筆頭見習いにしたいと言ってくれていた。とても、とても悲しい」と話した。(c)AFP