【8月1日 AFP】米プロバスケットボール(NBA)のレジェンドで、ファイナル優勝11回を飾ったボストン・セルティックス(Boston Celtics)王朝の要だったビル・ラッセル(Bill Russell)氏が、88歳で死去した。家族が31日に発表した。

 SNSには「米スポーツ史で最も多くのタイトルを獲得したビル・ラッセルが、本日妻のかたわらで、88歳で静かに息を引き取った」と発表文が掲載された。

 ラッセル氏はセルティックスで1959年から1966年にかけて8連覇を達成し、通算11回のファイナル王者に輝いた。現在のファイナル最優秀選手(MVP)賞にはラッセル氏の名前が冠されている。キャリア通算ではレギュラーシーズン1試合平均15.1得点、22.5リバウンドの戦績を残し、1960年代にはウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)氏とのライバル関係を築いた。

 指導者としてはNBA初の黒人ヘッドコーチ(HC)となり、1975年には黒人選手として初めて米バスケットボール殿堂入りを果たした。コート外では、公民権運動に積極的に関わり、2011年には当時のバラク・オバマ(Barack Obama)大統領から、米国の文民に贈られるものとしては最高の栄誉である大統領自由勲章(Presidential Medal of Freedom)を与えられた。

 オバマ氏はツイッター(Twitter)で、「本日、われわれは巨人を失った。ビル・ラッセルは背の高い男だったが、選手として、人間として彼の残したものは、それよりもはるかに高くそびえる」と話した。

「ビルはおそらく誰よりも、勝利のために、周囲を導くために必要なものを分かっていた。コート内ではバスケットボール史上最も偉大なチャンピオンだった。コート外では公民権運動の先駆者で、マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King Jr.)牧師とともに行進し、モハメド・アリ(Muhammad Ali)氏の側に立った」

 NBA史上最も偉大な選手という称号をラッセル氏から受け継いだ人物と、多くの人からみなされているマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)氏は、ラッセル氏が「道筋をつけ、私を含めた後からリーグに挑戦する、すべての黒人選手の手本となった」と話し、「世界はレジェンドを失った」と悼んだ。(c)AFP