ソ連時代の大飢饉の記憶 93歳女性によみがえる恐怖 ウクライナ
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■食料を武器に利用
ロシアは現在、ウクライナの穀物貯蔵施設を攻撃したり、黒海(Black Sea)を封鎖して穀物輸出を妨害したりしており、再び食料を戦争における武器として利用しているとの非難の声が上がっている。
ウクライナ大統領府のアンドリー・イェルマーク(Andriy Yermak)長官は6月初旬、ロシアは農耕地を砲撃することで「ホロドモールを再び行おうとしている」と非難した。
グリネビッチ氏は「1930年代の出来事も、今でいうウクライナという国家を根絶しようとする試みであり、(現在と)比較するのは極めて適切だ」と指摘する。「ウクライナ人は穀物を没収され、餓死に追い込まれた。ソ連はコルホーズ(集団農場)加入に同意した人にだけ穀物を与えた」
当時、ハルキウ一帯はソ連全土で上位23位以内に入る豊かな土地だとされていた。
ホロドモールの研究者で、博物館を運営するタマラ・ポリシチュク(Tamara Polishchuk)氏は、ホンチャロワさんが育ったチェレムシナ村とその周辺地域では飢饉で住民の3分の1が死亡したと指摘する。同氏は、ハルキウの全家庭に壊滅的な飢饉の記憶が刻まれていると考えている。しかし、当時は死者を記録する作業が「中止」されたため、実際の数は分からない。
ソ連は何十年にもわたりホロドモールの記憶を消し去ろうとした。ウクライナが犠牲者を追悼できたのは、1991年の独立後のことだった。
ホンチャロワさんはAFPの記者に備蓄食料を見せ、「あらゆる物が、まだ少しずつある」と誇らしげに言った。
「多くの国が支援してくれている。いろいろな物を配ってくれる。どれだけ続くかは神のみぞ知る」と言うと、クルミの木陰に腰掛けた。(c)AFP/Blaise GAUQUELIN