【6月28日 CNS】中国北京市の西南を走る環状道路「三環路」の外に位置する北京豊台駅(Beijing Fengtai Rail Station)が4年をかけて改築され、6月20日に営業を再開した。1895年に北京で最初に建設された鉄道駅は今や、1日120本の旅客列車が発着するアジア最大の鉄道ハブ駅に生まれ変わった。

 1895年に建てられた豊台駅の歴史は1895年まで遡る。同年(光諸21年)、日清戦争終結に際する日清講和条約(馬関条約、もしくは下関条約)が締結された後、民族の危機が高まった。当時のロシアやフランス、ドイツ、日本などの西側諸国が中国の線路の修繕や経営権といった鉄道利権を争った。清国政府の一部の見識ある人は、もし自分たちが急ぎ線路を修繕しなければ、鉄道検疫は全て西側列強に奪われてしまう恐れがあると理解していた。官民が動き、清国政府は盧溝橋と天津を結ぶ線路の敷設を最終決定した。1895年に豊台まで延伸された。豊台駅は元々、漢口(Hankou)や奉天市(Fengtian、今の瀋陽市<Shenyang>)、北京冬季五輪の競技会場となった張家口市(Zhangjiakou)などの地方都市と首都・北京を結ぶ鉄道路線の重要な駅だった。しかし、北京の鉄道レイアウトの調整に伴い、豊台駅の役割は日増しに低下し、2010年に旅客輸送業務を終えた。

 2017年9月、多くの鉄道文化学者や関係部署の努力により、豊台駅の旧駅舎は文化財として認められ、百年の歴史と記憶がその場で守られることができた。

 現在、この115年の歴史を持つ旧駅舎は往時の姿で保存されている。その東側約1キロ離れた場所に、アジア最大の鉄道ハブ「新北京豊台駅」が建てられた。建築面積は約40万平方メートルで、1時間あたりの待合客の最大収容人数は1万4000人に上る。32のプラットホームがある。

 北京豊台駅の副駅長の王建(Wang Jian)氏によると、北京豊台駅が開業した後は、主に北京-広州(Guangzhou)高速鉄道から石家荘(Shijiazhuang)-太原(Taiyuan)高速鉄道、そして北京-九龍(Kowloon)線、北京-原平(Yuanping)線、およびいくつかの北京をハブとする普通列車の旅客輸送の乗り換え業務を運営し、最初の頃には1日120本の旅客列車が発着する計画だ。

 鉄道部門のデータによると、北京豊台駅からの乗客数は長期的には7207万人に達し、北京西駅(Beijing West Railway Station)の乗客の混雑と周辺の交通状況は大幅な緩和が見込まれている。将来的には、北京豊台駅は北京駅(Beijing Railway Station)、北京西駅、北京南駅(Beijing South Railway Station)、北京北駅(Beijing North Railway Station)、清河駅(Qinghe Railway Station)、北京朝陽駅(Beijing Chaoyang Railway Station)、北京城市副中心駅など他の北京鉄道ハブ駅と統合され、首都の輸送システムを改善する見通しだ。(c)CNS/JCM/AFPBB News