笹生優花、全米女子OP連覇へ 今年は日本国籍で出場
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【6月1日 AFP】昨年の全米女子オープン(US Women's Open Championship 2021)を制し、世界的な知名度を一躍高めた笹生優花(Yuka Saso)。連覇のかかる今年の大会に、笹生はフィリピン国籍ではなく日本国籍で臨む。
フィリピン人の母親と日本人の父親のもと、フィリピンで生まれた笹生は、日本国籍を選択したことについて「とても難しい」判断だったと明かした。日本は二重国籍を認めていないため、笹生は21歳になる今年6月までに苦渋の選択をしなければならなかった。
米国からAFPのオンラインインタビューに応じた笹生は、「私はフィリピンで育ち、大きな大会にもフィリピン国旗が名前の横にある状態で出場してきたから、大きな決断だった」と話し、「とても難しかった。自分はプロゴルファーで、仕事のためになる決断をする必要があった」と続けた。
日本国籍の選択に傾いた理由の一つが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)後の世界で、日本のパスポートの方が海外へ渡航しやすいことだった。笹生は「知っての通り、日本のパスポートの方が強力で、ゴルフ外のスタッフの作業も少なくて済む」と話す。
それでも、フィリピンは本人の胸の中で特別な場所であり続けるという。笹生は、フィリピン国籍で2018年のアジア競技大会(18th Asian Games、Asiad)で二つの金メダルを獲得し、昨年の東京五輪にも出場した。
「大きな大会で母親の国を代表できたことはとても誇らしかったし、すべてが思い出になった」
「できれば、自分がフィリピンを捨てたとは思わないでほしい。自分はフィリピンを愛している。日本も愛している」
「どちらも私にとっては同じで、国旗が変わっただけでしかない」
■マキロイからのアドバイス
1年前の笹生は、日本ツアーで何勝か挙げただけの米国では無名の存在だった。しかし米国ツアー参戦わずか7試合目となる全米女子オープンを制し、男女を通じてフィリピン勢初のメジャーチャンピオンになった。
笹生は「全米オープンを勝てたのは信じられないことで、米ツアーの会員権を手に入れるのは夢だった」と振り返り、「人生が変わる出来事で、あれ以来、コースの内外でたくさんのことを学んでいる」と話した。
全米女子オープン制覇で、世界ランキングは40位から10位以内にまで浮上し、米ツアーの5年間のシード権も手に入れた。何よりうれしかったのは、優勝の翌週に行われた男子の全米オープン(2021 US Open Championship)で、憧れのロリー・マキロイ(Rory McIlroy、北アイルランド)と初めて顔を合わせる機会を得られたことだった。
笹生のスムーズなスイングは、メジャー4勝を挙げているマキロイと驚くほどよく似ているが、これは偶然ではない。笹生は「自分が彼のスイングをまねしようとしているのは本当」と言って笑い、その後の東京五輪でも再会して、それ以来連絡を取り合っていることを明かした。
「すごく忙しいのは分かっているから、あまり煩わせたくはないけれど、質問があるときはいつも返事をしてアドバイスをくれる」
「いつか彼と一緒にプレーできるようになることも、私の夢の一つ」
■父親の存在に「胸が温かく」
今年の全米女子オープンは、強風の吹く米ノースカロライナ州サザンパインズ(Souhern Pines)のパインニードルズロッジ&GC(Pine Needles Lodge & Golf Club)で開催され、笹生にとっては、メジャー初優勝を飾った西海岸のオリンピック・クラブ(The Olympic Club)とは違った難しさがある。5月にパインニードルズで練習をした笹生も、「とても難しいコース」と認める。
笹生がゴルフを始めることを決め、全米女子オープンで優勝すると誓ったのは、9歳になってからだったという。笹生は「父親がゴルフを見るのが大好きで、2010年にポーラ・クリーマー(Paula Creamer、米国)が優勝した全米オープンを一緒に見た」と振り返る。
「そのとき父さんに『私もあのトロフィーを取りたい』と言った。8歳半で、まだゴルフを始めたばかりだったのに!」
「父さんからは、『本気か? 別のことをやった方がいいと思うけど。プロスポーツ選手のようなものを目指すなら、いろんなものを犠牲にしないといけないぞ』というようなことを言われた」
「だけどまだ小さかった私には、その言葉の意味があまりよく理解できなかった。だから単純に『プロゴルファーになりたい』と言った」
それから11年後、日曜日の午後の日差しの中で、父の笹生正和(Masakazu Saso)さんはグリーン脇から、幼き日の娘の言葉が現実になるところを目の当たりにした。
「母さんはいなかったけど、父さんがいてくれて、すごく胸が温かくなった」と笹生。
「とにかく、助けてくれた家族への感謝の気持ちでいっぱいだった。家族がいなかったら、ここまでは来られなかった」 (c)AFP/Daniel HICKS