【5月22日 AFP】キューバのサーファーたちは子どもの頃、学校の机の天板をボード代わりにして波に乗っていた。

「(サーフィンを)始めたのは子どもの時です。7、8歳の頃、学校の木の机で始めました」とアヤックス・ボレロ(Ayax Borrero)さん(34)。「すごく重かったですよ」と笑う。

 友人2人とやって来たのは、首都ハバナの西にある漁村サンタフェ(Santa Fe)だ。フィデル・カストロ(Fidel Castro)氏が政権を握った1959年のキューバ革命以前は資産家が所有していたという岩場は、サーファーが海に飛び込むポイントになっている。

 当時は冷蔵庫に取り付けられていたポリスチレンフォームのパネルをボードにしていたサーファーもいた。いろいろな物が庶民の手に入らないキューバでは、こうした代用は「発明」と呼ばれている。

 この国のサーファーにとっては、ボードを手に入れること以外にも厄介なことがある。海を渡って米フロリダ州に亡命するキューバ人がいるため、サーフィンをしているだけで警察に疑われることも多い。3月には、キューバから370キロ先で米当局に保護されたウインドサーファーもいる。

 キューバで数少ないサーフボード修理工のフランク・ゴンザレス(Frank Gonzales)さん(35)は、「サーフィンをするのも大変ですよ。最高の波が来る特定の場所でやるスポーツでしょ。そこに警察が来て、帰れと言われるのですから」と話す。

 サーフボードを没収された人もいれば、泳いで警察から逃げようとした人もいる。

 しかし、サーファーたちにとって事態は好転し始めている。2021年の東京五輪でサーフィンが五輪種目入りしたおかげで、キューバ当局がスポーツとして認めるようになったからだ。

 スポーツ体育レクリエーション庁(INDER)のトップ、エリック・グティエレス(Eric Gutierrez)氏は「以前から、やる人はいたのに注目されていなかったのです」と言う。INDERでは今、サーフィンを認知・発展させるための取り組みを進めていると説明した。

 キューバ初の女性サーファーの一人、ヤリアニ・「ヤヤ」・ゲレロ(Yaliagni "Yaya" Guerrero)さん(39)は、2019年からINDERでゴンザレスさんと共に、サーフィンを取り巻く「文化の欠如や無知」を打破しようとしている。

 昨年12月、ゴンザレスさんが優勝したハバナでのサーフィン大会をINDERの関係者が初めて観戦した。その関係者こそ、サーフィンを「素晴らしいスポーツ」と評したグティエレス氏だった。

 INDERは、昨年から国際サーフィン連盟(International Surfing Association)とコンタクトを取っており、今後数か月のうちに同連盟の代表団を迎える予定だ。「指導や設備、負傷時の応急処置や審判など、サーフィンに関する専門的な問題で役立つプロジェクトを提示したいと考えています」とグティエレス氏は語った。(c)AFP