■「私の選択」

 セレブレニコフ氏は2020年、モスクワの劇場ゴーゴリ・センター(Gogol Centre)の資金を着服したとして有罪とされた。同氏の支援者らは、独裁主義と同性愛者嫌悪を批判したことへの報復だと主張している。

 刑期を半分ほど終えた今年4月、ロシアを離れることが認められた。

「私は選択した」「だが、私は自分の意見しか代弁できない」

 お金もビザ(査証)もない多くのアーティストにとって、ロシアを離れるのは簡単なことではないと指摘する。

 自分がベルリンに新しく拠点を構え、欧州各地で仕事できるのは「恵まれている」と語った。

 5月には、チャイコフスキーの結婚生活を描いた新作『チャイコフスキーの妻(Tchaikovsky's Wife)』でカンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)に参加する。昨年は『インフル病みのペトロフ家(Petrov's Flu)』がコンペティション部門に選出されたが、出国が禁止されていたため出席できなかった。

 オランダ・アムステルダムでオペラ制作が進んでいるほか、フランス・アビニョン(Avignon)演劇祭での作品上演も予定されている。

 祖国ロシアを再び訪れることがあるのか、ウクライナ国境にほど近いロストフナドヌー(Rostov-on-Don)に住む90歳の父に再び会うことができるのか分からない。

 戦争には反対だ。だが、戦争を非難しなければ、国際舞台から排除されるという圧力をロシア人アーティストにかける風潮には疑問を持っている。

「難しい問題だ。誰かに何かを宣言するよう強要したり、『賛成』『反対』と言わせたりするようなことはあまりいいとは言えない」

「それは私たちがかつて経験したあるものを思い起こさせる」と指摘した。スターリン主義時代の見せしめ裁判で告白を強要されたことに言及しているとみられる。

 セレブレニコフ氏は、ウクライナ人映画監督らが、国際映画祭からロシア映画を排除するよう呼び掛けていることは理解できるとした上で、「文化のボイコット」は何の解決にもならないと述べた。(c)AFP/Rana MOUSSAOUI