【4月14日 AFP】ウクライナ東部の町ボルノバハ(Volnovakha)ではロシアの支配下に置かれて1か月が経過する中、数十人の子どもが出席して「学校再開式」が行われた。

 校庭に整列した子どもたちは武装した兵士が監視する中、スピーカーから流れるロシア国歌を聞かされた。

 ロシア軍主催のプレスツアーに参加したAFP取材班によると、ボルノバハは電気も電話も通っていない。

 ボルノバハはドネツク(Donetsk)と港湾都市マリウポリ(Mariupol)の中間に位置する要衝。砲撃で破壊された建物は、激しい戦闘があったことを物語っている。 ロシアは3月11日、ボルノバハを制圧。ウクライナのネオナチ(Neo-Nazi)から「解放」したと主張している。

 髪に白いリボンを着けたバラ色の頬をした少女が「今こそ学ぶべき時です。みんな、急ぎましょう!」とマイクで呼び掛けた。その後ろには職員が並び、ロシア国旗と親ロシア派武装勢力「ドネツク人民共和国」の旗が飾られていた。近くでは短機関銃を手にした兵士が監視していた。

 スピーカーからは「ドネツク人民共和国」の歌に続き、ロシア国歌が流れた。「ロシア、われらの聖なる国。ロシア、われらのいとしき国!」と歌詞が始まっても、職員と子どもは無表情で黙って立っていた。

 まだボルノバハのあちこちに破壊の痕跡が残っている。病院の正面には大きな穴が開き、近くの木々は半分に折れている。ロシアはこうした破壊について、ウクライナ軍が住民を「人間の盾」として使ったからだと主張している。

 中心部にある第5学校(School Number 5)にも砲撃の跡が残り、窓ガラスは割れ、れんがは粉々になっている。これまでに再開された学校はここだけだ。

 第5学校の運営責任者リュドミラ・フマラ(Lyudmila Khmara)さん(52)は「私たちは恐怖を生き抜いてきた。恐ろしい砲撃があった」と述べる一方、「家ほど良い場所はない」としてボルノバハにとどまる意向を示した。

 フマラさんは、ボルノバハがウクライナ語を強制されない「ロシアの一部」になることを望んでいる。この地域ではロシア語話者が圧倒的多数を占めている。