【4月17日 AFP】まだ顔にあどけなさが残るロシア人のニキータ・アブロフ(Nikita Avrov)さん(20)は3月下旬、戦車の装填(そうてん)手としてウクライナで従軍中に死亡した。

 アブロフさんが生まれたのは、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領が2000年に政権を握った後。亡くなったウクライナ東部イジューム(Izyum)は小さな町だが、ハルキウ(Kharkiv)とスラビャンスク(Slavyansk)の間の戦略的な要所で、ロシア軍が占領していた。

 ロシア第2の都市サンクトペテルブルク(St. Petersburg)南方150キロに位置する故郷ルーガ(Luga)で今月行われた葬儀では、死亡叙勲が行われたアブロフさんを誰もが愛国的な殉教者とたたえ、大義のため、祖国ロシアのために命を落としたと異口同音に語った。 

 自治体関係者は「ウクライナのネオナチや民族主義者と闘い、祖国のため、私たちの平和を守るために亡くなった」と弔辞を述べ、ある大佐は「ロシアが弱さを見せると、屈服させようとするふていのやからがいるが(中略)思い通りにはさせない」と語った。

 こうした主張は、ロシア政府の公式見解を踏襲している。ソ連崩壊後、西側諸国がロシアの弱みに付け込み、ウクライナを味方に引き入れたという主張だ。

 ウクライナで戦死したロシア人兵士の正確な数は明らかにされていないが、ロシア政府報道官は8日、「かなりの」数に上ることを認めた。3月25日の公式発表では、ロシア軍の死者は1351人とされていた。(c)AFP