【2月10日 東方新報】儒学の祖・孔子(Confucius)の出身地として知られる中国・山東省(Shandong)曲阜市(Qufu)。春節(旧正月、Lunar New Year、今年は2月1日)の時期を迎えると、孔子ゆかりの施設での年越しイベントが話題となる。

 孔子の子孫が暮らしていた邸宅「孔府」では年越しの儀式が行われ、孔子博物館は貴重なコレクションを展示。孔子75代目の子孫で書家の孔祥勝(Kong Xiangsheng)氏が、毛筆で「春聯(しゅんれん)」をしたためるのも毎年恒例の風景だ。春聯とは、赤い紙に縁起の良い対句や新年をことほぐ詩文を書き、家の入り口の門の周りに貼るもの。中国人が伝統的に最も大切にする春節の期間、中国文化を代表する孔子が注目され、孔子をまつる曲阜市の孔廟を参拝する観光客も多い。

 地元には古くから「孔府菜(孔子料理)」も伝わっている。北宋の宝元年間に生まれ、その歴史は1000年近い。歴代皇帝が孔子にささげる料理から発展し、非常に精緻な調理法で知られる。

 孔府菜がすたれかけていた1980年代前半、料理人の王興蘭(Wang Xinglan)さんが女性として初めて孔府菜の継承者に選ばれ、復活に尽力。関連の古文書を読み、孔府菜の先輩料理人から口伝を受け、孔府菜のメニューを増やしていった。2018年には中国、ロシア、中央アジア諸国などでつくる「上海協力機構(SCO)」の国際会議が山東省青島市(Qingdao)で行われた際、孔府菜で各国首脳をもてなした。王興蘭さんは「孔子に比べて知られていない孔府菜を世界に広めていきたい」と語っている。

 孔府菜は地元・山東料理の一種。その山東料理は中国四大料理の一つに数えられ、明・清朝の時代は北京の宮廷料理となり、料理人の多くは山東省出身だったといわれる。北京料理など今の北方料理のルーツは山東にある。

 しかし近年は、国賓をもてなす時に使われてきた中国東部の江蘇(Jiangsu)料理や、激辛で国内外に人気が広まった西部の四川(Sichuan)料理、飲茶(ヤムチャ)で知られる南部の広東(Guangdong)料理と比べ、四大料理の中で影が薄い存在となっている。そんな中、孔府菜は山東料理復権の「キラーコンテンツ」の役割を担おうとしている。約2500年前の思想家・孔子のブランドは今も光り輝いている。(c)東方新報/AFPBB News