【2月21日 AFP】オーストリアのウィーン・ミュージアムMUSA(Wien Museum MUSA)で、「共に落ちたウィーン 国民社会主義下の芸術における政治問題(Vienna Falls in Line. The Politics of Art under National Socialism)」と銘打たれた展示が昨年10月から行われている。ウィーン市による、第2次世界大戦(World War II)中の複雑な歴史に光を当てる取り組みの一環だ。

 アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の生地であるオーストリアは、1938年にナチス・ドイツ(Nazi)に併合されて以来、自らを被害者と位置付けてきた。ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大虐殺)をめぐる自国の役割を本格的に検証し始めたのは、1980年代後半になってからだった。

 併合前、オーストリア国内には約20万人のユダヤ人がいたが、ホロコーストで6万5000人以上が殺害された。全体では、ユダヤ人600万人以上が犠牲になったとされる。

 MUSAの小さな展示室2部屋には、ナチス時代に制作された美術品が所狭しと陳列されている。ナチスの旗が掲げられた国立歌劇場の絵、かぎ十字が織り込まれたタペストリー、保管箱に入ったままのものもある。収蔵庫のような雰囲気だ。

 キュレーターが注意を払ったのは、展示に際し、作品に強い「オーラ」を放たせないようにすることだった。

 キュレーターの一人、イングリット・ホルツシュー(Ingrid Holzschuh)さんは「一般的な展示形式にすることはあり得なかった」と語った。

 今回の展示は、ホルツシューさんと、ザビーネ・プラコルムフォルストフーバー(Sabine Plakolm-Forsthuber)さんの二人のキュレーターによる4年にわたる研究の成果だ。2人は、ナチス・ドイツへの併合後に第三帝国の芸術家協会に正式に加入した芸術家3000人の会員情報を調べ上げた。

 当時、芸術家は全員が入念に身元調査され、絶えず監視された。

「入会希望者はナチス政権の芸術的、政治的、人種的基準を満たす必要があった」「反体制派やユダヤ人は入会を禁じられた」と、展示では説明されている。