■クーデター未遂と裁判

 鉄製のベッドが置かれた狭い監房もある。1978年の「シーランドの大クーデター」の際には、公国史上唯一の囚人が収容されていた。

 ロイ氏と対立していたドイツ人実業家がシーランドに傭兵(ようへい)を送り込み、クーデターを画策。不在だったロイ氏は、息子マイケル(Michael Bates)氏と共にヘリコプターで夜明けに逆襲し、シーランドを奪還した。傭兵は解放したが、実業家の弁護士を拘束し、「国家反逆罪」を適用した。

 その後、ドイツ側が調査のために外交官を派遣し、ベイツ氏親子は弁護士を解放した。

 それよりも前の1967年には、シーランドの占拠を試みた海賊ラジオ局の一団をロイ氏とマイケル氏が火炎瓶で撃退した事件も起きている。

 翌1968年、ロイ氏とマイケル氏はシーランド付近を航行中の船舶に発砲し、銃規制法違反に問われたものの、裁判所はベイツ氏親子の元要塞は英国司法の管轄外とした。

「父(マイケル氏)は、兄と私に銃の撃ち方やいろいろなことを教えてくれました」とリアム氏は言う。現在、シーランドに武器があるかどうかは明らかにしなかった。

 だが、「自衛する備えはできています。ご存じのように、過去に襲われたことがありますからね」と話した。

 1987年以降、シーランドは法的には英国の領海に含まれることになったが、英政府は領土権を取り返そうとしていない。

「私たちの存在を認めていないふりをしているのでしょう。どうせ、いつかは荷物をまとめて出ていくだろうと」とリアム氏は言う。「もちろん、そんなことは絶対に起きません」 (c)AFP/Anna MALPAS