【1月1日 AFP】南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)をめぐって暴力が絶えなかった頃から、ソフトクリームの移動販売車の音楽が聞こえてくると、ヨハネスブルク郊外ソウェト(Soweto)の子どもたちは自分のお小遣いを握り締めて集まってきた。数十年たった今も、その光景は変わらない。

 シフォ・ムチャーリ(Sipho Mtshali)さん(63)はこの45年間、「月曜日から月曜日まで」毎日、生まれ育ったソウェトで車を走らせ、ソフトクリームを売り続けてきた。ここにはかつて、南アフリカ初の黒人大統領、故ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)氏が住んでいたこともある。

 1970年代、ソウェトで黒人解放運動が激化し、暴力の嵐が吹き荒れた頃も、ムチャーリさんは販売を続けた。ソウェトは1976年、少数派の白人による支配に学生たちが抗議運動を起こしたことでも知られる。

 しかし、ムチャーリさんが政治運動に参加することはなかった。仕事を休むのは、冬の寒さが厳しいときだけだ。

「寒い日は休まないとね」

 移動販売車の中から、地元の子どもたちが大人になっていくのを見てきたとムチャーリさんは言う。

 ムチャーリさんは、販売を始めた頃に来ていた子どもたちの幼い丸顔を懐かしむ。その子たちが今では親になり、その子どもが小銭を握り締めてソフトクリームを買いに来る。

 照りつける夏の日差しの下、ムチャーリさんは、アパルトヘイト時代に黒人の労働者向けに建てられたれんが造りの小さな家々の間を抜けてゆっくりと車を走らせる。

 ストロベリーやバニラのソフトクリームの値段は8ランド(約58円)。上乗せして払えば、トッピングも追加できる。

 イタリア製のソフトクリーム機を使うには、車のエンジンをいちいち切らなければならない。同時には使えないのだという。

 こうした不具合はあるが、人々に笑顔を届けたいというムチャーリさんの情熱が損なわれることはない。

「生きている限り、この仕事は続けます」とムチャーリさんは言う。「アイスクリームを食べたら、誰でもハッピーになりますからね」 (c)AFP