「関羽がまた斬首された」 中国・荊州市の大型銅像が撤去される理由
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【9月17日 東方新報】中国・湖北省(Hubei)荊州市(Jingzhou)で今月に入り、三国時代の武将、関羽(Guan Yu)の巨大銅像の解体・移転工事が始まった。高さ約57メートルの銅像が建造から4年後に「違法建築」とみなされたためだ。工事では最初に顔の部分が大型クレーンで取り外され、インターネットでは胴体だけの銅像の写真とともに「関公(関羽の敬称)がまた斬首された!」と話題になっている。
荊州は関羽の主君・劉備(Liu Bei)が長年の流浪を経て独立を果たした地。劉備や諸葛亮(Zhuge Liang、孔明)が政権の拠点を荊州から益州(Yizhou、現在の四川省)に移した後は、関羽が単独で荊州を守り続けた。関羽は西暦220年、劉備の宿敵・曹操(Cao Cao)の軍勢を打つため荊州から北上中、東の孫権(Sun Quan)軍から奇襲を受け、捕虜となり斬首された。
関羽は物語の「三国志」の英雄であり、勇敢・仁義・忠義の人としてその人気は中国で今も絶大だ。関羽はもともと塩商人の売買に関わっていたといわれることから、商売の神様としてもあがめられている。荊州市は経済成長の柱の一つとして観光産業に力を入れており、「関羽ブランド」はいわば大黒柱の存在。国有企業の荊州観光投資開発集団が2016年6月、観光スポット・関公義園にある「関公文化展示センター」(2階建て)の上に巨大な関羽像を完成させた。57メートルの高さは日本のマンションの19階に相当する。関羽が手に持つ青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)にいたっては、長さが70メートルに及んでいる。4000個以上の純銅製パーツで組み立て、重さは1200トン強に上る。
しかしこの関羽像は、建築物の高さを24メートル以下に制限する市の「古城歴史地区」に建てられていた。建設業者は台座にあたる展示センターの高さ(約10メートル)だけを市に申請。関羽像は「立像」のため建築物に当たらないという解釈で、市側もそれを許容していた。だが、昨年10月に中央政府の住宅都市農村建設省が「像の高さは規定に違反し、歴史都市の風貌を台無しにしている」と撤去を命じた。
中国では、地方政府の幹部がイメージアップのため派手な建築物をつくる「形象工程(イメージプロジェクト)」や、上司の覚えをよくしようとする「面子工程(メンツプロジェクト)」がたびたび問題になっている。昨年には貴州省(Guizhou)独山県(Dushan)で、県の歳入が10億元(約170億円)なのに2億元(約34億円)の借金をして、地元少数民族の伝統様式を模した高さ約100メートルの大型木造建物をつくったことも問題になっている。
関羽像は市郊外にある三国時代の史跡に移転される予定だが、建設費は1.7億元(約28億9200万円)かかった上、解体・移転費は1.55億元(約26億3683万円)を要する見込み。関羽像のある関公義園の収入は2020年までで1300万元(約2億2120万円)程度で、3億元(約51億円)強の公費が無駄になる計算だ。
中国共産党の汚職摘発機関・中央規律検査委員会は、「3億元が浪費された巨大像の教訓は深刻だ」と指摘。「問題の像がどのようにして規制当局の目を盗んで建てられたのか。地元政府は監督責任を果たしているのか」と強く批判した。今年8月に別の自治体から荊州市トップの市共産党委書記に就任した呉錦(Wu Jin)氏は、「撤去作業ではがされていく銅像の一片一片が私たちの顔を平手打ちしている」と発言し、関羽像の建造を許した市幹部の責任を追及している。
史実の関羽は最後、孫権軍の奇襲を見抜けずに敗北したため、中国では「関羽大意失荊州(関羽は不注意で荊州を失った)」という言葉がある。今回の銅像撤去騒動を巡り、中国メディアは「荊州大意失関羽(荊州市は不注意で関羽を失った)」と皮肉まじりに報じている。(c)東方新報/AFPBB News