【9月10日 AFP】「9.11」のあの日、アル・キム(Al Kim)さんは、米ニューヨークの世界貿易センタービル(World Trade Center)崩壊の惨事から生還した。大きな衝撃から立ち直る中、命のはかなさと「広い視野」から問題を捉える必要性を学んだと言う。

 2001年9月11日、午前9時を少し回っていた。当時37歳だったキムさんは救急医療隊員として、世界金融の中心地ロウアーマンハッタン(Lower Manhattan)に急行した。イスラム過激派にハイジャックされた旅客機2機が、貿易センターのツインタワー(Twin Tower)に突入したのだ。

 キムさんの任務は、負傷者を二つのタワーに挟まれたマリオットホテル(Marriott Hotel)に避難させることだった。

 しかし午前9時59分、負傷者看護の準備をしていると、突進する電車のような耳をつんざく音が聞こえた。本能的に、歩道橋の下に駐車していたワゴン車の下に飛び込んだ。

「こんな死に方をするなんて信じられない」と感じたと言う。タワーの南棟が崩れ落ちた瞬間だった。

「息ができなかった。空気がツンと鼻を突いた。自分のシャツで口を覆ったことを覚えている」。20年後の今、ツインタワー跡地に建てられた「9.11記念博物館(9/11 Memorial & Museum)」を初めて訪れながらキムさんは振り返った。

 ビル炎上崩落後の熱風でキムさんは鼻孔、上気道、左眉をやけどした。両眼も負傷した。全身が厚い灰に覆われた。

 やがて同僚の声が聞こえ、彼らと合流。真っ暗闇の中、がれきや猛火をくぐり抜け「小学生のように手をつなぎながら」前進した。「光の方向に向かって歩く間、警報音が一斉に鳴っていた」

■数々の葬儀

 後で分かったことだが、それは消防士が身に着けた救助要請装置のアラームで、装着者の動作がしばらく止まると鳴りだす仕組みだった。

 叫び声を聞いて駆け付けると、顔が灰だらけになった消防士が半身、がれきに埋まっていた。彼の首の骨は、3か所で折れていた。

 キムさんは彼を担架で安全な場所に避難させたが、数分後にセンターの北棟が崩壊した。この消防士は、所属していた班12人の中で唯一の生存者となった。

 この後のキムさんの記憶は、おぼろげで断片的だ。「見渡す限り、がれきの野だった。市全体が、あるいはその外も、そうなんだろうと思えた」

 キムさんは貿易センター跡地の「グラウンド・ゼロ(Ground Zero)」にその日は夕方までとどまり、翌日からも数日間通った。

「やるべきことがたくさんあり、出なければいけない葬儀がいくつもあった。じっくり考える時間はなかった」。当時、彼はブルックリン(Brooklyn)の民間救急サービス「メトロケア・アンビュランス(Metrocare Ambulance)」に勤めていた。

 後からも不安が募り、ガスマスクを入手した。車には2週間分の飲料水や食料を積み込むようになった。「毒ガス攻撃の可能性が話題になっていた」。やがて不安は克服したが、さまざまな思いが残った。