■「他の人たちがまだ残っている」

 数人のドイツ兵に助けられ、夫婦は空港に入り込めたものの、そこで2日間を過ごした。日中はカブールの炎天にさらされ、寝具の代わりになるものもなく、食べ物もろくになかった。

 ようやくスペイン軍機で飛び立ったときは、わが身の幸運を痛感したという。「脱出できて、こうして新しい生活を始められるなんて、他のアフガニスタン人より幸せだと思う」とバヤットさん。「でも私はほんの一人。他の人たちがまだ残っている」

 タリバン政権下の1990年代末期、バヤットさんの家にロケット弾が当たり、兄が死亡した。父と2歳だった彼女も負傷した。

「彼らは私の人生をすっかり変えてしまいました。私に痛みと一生背負っていく荷物を押しつけたのです」

「タリバンがどれだけ危険か、私こそがその証拠です…アフガニスタンで生きることが、どれだけ厳しくて困難かも。未来も希望もありません」

 アフガニスタンでは多くの人々が、紛争やポリオが原因の障害がある。そうした国でバヤットさんは、男子の試合を見たことをきっかけに車いすバスケットボールに引かれた。その後、アフガン女子チームの設立に大きな役割を果たした。

「体育館にいて、バスケットボールをしていると、私の国で起きていることを忘れます。自分に障害があることも」

 彼女のスペイン入国に力を貸したのは、スペイン人ジャーナリストの友人だった。すでに車いすバスケットボールのチームから「たくさんのオファー」を受け取っている。そのうちの一つが「ビダイデック・ビルバオ(Bidaideak Bilbao BSR)」。そこで「できるだけ早く」プレーしたいと言う。(c)AFP