【8月11日 東方新報】2016年リオテジャネイロ五輪で金メダルに輝いた中国女子バレーが、東京五輪では予選敗退に終わった。選手、指導者として黄金時代を築いてきた郎平(Lang Ping)監督は今大会で契約満了となり、退任する。中国メディアは「中国女子バレー界の一つの時代の終わり」と報じている。

 現役時代は強力なスパイクから「鉄のハンマー」と称された郎平監督。1979年に中国女子代表選手となり、81年ワールドカップ(W杯)、82年世界選手権、84年ロサンゼルス五輪の3大会すべてで金メダルをもたらした。95年には中国女子代表の監督に就任。低迷していたチームを立て直し、96年アトランタ五輪と98年世界選手権で銀メダルを獲得した。米国女子代表監督などを経て2013年に中国女子代表監督に復帰。15年W杯、16年リオ五輪、19年W杯で金メダルに輝いた。

 しかし今回の東京五輪では、予選リーグで初戦からトルコ、米国、ロシア五輪委員会(ROC)に3連敗。残り2試合のイタリア、アルゼンチンには連勝したが、2勝3敗で決勝進出を逃した。絶対エースのアタッカー朱婷(Zhu Ting)選手が手首のけがで本調子でなかったのが大きかった。郎平監督は「朱婷のけがが悪化することは想定していたが、他のアタッカーへの切り替えがうまくいかなった」と振り返る。

 近年の大会での中国代表は、劣勢になっても朱婷選手の強烈なスパイクで流れをひっくり返す試合運びが多かった。エースのけがでチームは動揺し、試合では守備にもほころびが出ていた。また、リオ五輪から世代交代が進んでないことへの指摘や、東京五輪予選での郎平監督の選手起用を疑問視する声もある。

「全国のファンから大きな期待と応援をいただいたが、この結果は間違いなく私に責任がある」と郎平監督。60歳という年齢で親子以上に年齢の離れた若い選手を指導してきた。「長年仕事をしてきて、私の健康状態もあまりよくない。今後は若い優秀なコーチが選手を導いてほしい」と述べている。

 郎平さんが選手として大活躍した時代は、中国が海外に門戸を開いた改革開放政策が1979年に始まった直後。郎平選手率いる中国代表の快進撃はスポーツの枠を超え、国民に「中国は世界で通用する」と自信とプライドをもたらした。二度にわたる監督時代の好成績も、中国が大国として発展していく姿を反映してきた。中国の成長を象徴するレジェンドが長年の役割を終えて、表舞台から去ることになる。(c)東方新報/AFPBB News