■ルワンダ虐殺を訴える意見広告

 MSFは、さまざまな危機について公に発言してきた。例えば、湾岸戦争(Gulf War)後、イラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)政権が国内のクルド人を弾圧した時もそうだ。

 1991年、国連安全保障理事会(UN Security Council)はクルド難民を援助・保護するための軍事行動を承認した。

 当時、「人道的干渉の権利」の始まりを歓迎する向きもあったが、MSFは軍事と救援活動の境界線が曖昧になることを懸念した。

 だが、1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争と、1994年にルワンダで起きた少数派ツチ(Tutsi)人に対する大虐殺では、MSFは、それらを阻止するための軍事介入を要請した。

 MSFのジャンエルベ・ブラドル(Jean-Herve Bradol)医師は1994年4月、ルワンダの首都キガリに着いて、殺りくの規模に衝撃を受けた。

「何もかもが目まぐるしい勢いで起きていた。私たちは人々が消え去るのを見ながら、何が起きているのか、言葉で伝えようとした」とブラドル氏は振り返った。

 MSFは、仏紙ルモンド(Le Monde)の広告スペースを買って意見広告を出した。「医者では虐殺を止められない、国際的な軍事介入が必要だと私たちは訴えた」とブラドル氏は話した。

「あんなことは初めてだった」

■ノーベル平和賞

 1999年、MSFはノーベル平和賞を授与された。受賞をきっかけに、熱帯病やエイズ(AIDS、後天性免疫不全症候群)の患者が治療薬を入手しやすくするためのキャンペーン資金も調達できるようになった。

 現在、MSFは世界25か国に支部を持ち、6万1000人のスタッフを擁している。うち3分の2は現場に派遣されている。

 年間予算は16億ユーロ(約2100億円)近くに上り、99%は民間からの寄付だ。

 しかし、組織の拡大については内部でも異論がある。

「私たちは今や大きな官僚機構になってしまった。現地に派遣されたスタッフは、サポート部署に報告書やエクセル表を出せと、せっつかれている」とMSFフランスのメゴ・テルジアン(Mego Terzian)会長(51)は話した。

 MSFの医師、ブリジット・バセ(Brigitte Vasset)氏は、MSFフランスがいまだに全てを決めているわけではないが、「膨大な資力・人力を提供してきた必要悪だ」と評した。