■意見の対立から分裂

 MSFは、1971年12月に創設された。

 運営をめぐっては、内部では方向性について激しい意見の対立もあった。

 仲間同士での小規模「ゲリラ」部隊にとどめるべきだという意見のメンバーに対し、新参のメンバーらは組織を拡大するべきだと意気込んでいた。

 対立が決定的になったのは1979年に当時MSF会長だったクシュネル氏が、哲学者ジャンポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)氏らパリの知識人を動員し、共産党政権から逃れるベトナム難民を救う船をチャーターした時だ。

 MSFの中でクシュネル氏らと対立していた勢力は、この行動スタイルに反発し、投票で同氏のやり方を否決した。クシュネル氏を含む数人が同組織を離れる結果となり、その後、同氏は医療支援団体「世界の医療団(Medecins du Monde)」を設立する。

「残念な権力闘争だった」とクシュネル氏は振り返った。

■評判を世界中に広めたアフガニスタンでの支援活動

 MSFは、民間の資金に支えられて独立性が保たれているので、特定の国や組織に遠慮せずに意見を述べることができる。

 人道問題が専門の弁護士フィリップ・リフマン(Philippe Ryfman)氏は、ICRCは中立性を支持し、国家の主権を重んじるが、MSFはそうした方針を踏襲していないと指摘する。

 1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、同国民を支援するためMSFは秘密裏に医療チームを現地に派遣し、「フランスの医師団」の評判は世界中に広まった。

「あの戦争の影響を目にしたのは私たちだけだった」とジュリエット・フォルノ(Juliette Fournot)氏は話す。同氏は1989年までアフガニスタンでのMSFの支援活動のまとめ役を務めていた。

 自分たちの体験について証言するのは非常に重要なことだったとして、「だから今でも、アフガニスタンの人々は私たちを覚えていてくれる」と続けた。