【5月24日 東方新報】中国で「ハイブリッド米の父」と呼ばれた袁隆平(Yuan Longping)氏が22日、湖南省(Hunan)長沙市(Changsha)の病院で死去した。90歳だった。中国の水稲研究・発展のパイオニアであり、発明したハイブリッドイネは、コメの単位面積当たりの収穫量を大幅に伸ばし、塩類・アルカリ土壌や砂漠にでも栽培できるようにした。14億の中国人の「満腹」を実現させた英雄といわれた人物だった。

 1930年北京生まれ。重慶市(Chongqing)の西南農学院で遺伝育種学などを学んだ。湖南省の農学校の教師を務めていた青年期、中国全土を襲った自然災害による大飢饉(ききん)を経験した。道端に倒れた餓死者の遺体を見て衝撃を受け「中国から餓死者を無くしたい」という思いからイネ改良研究を始めたという。

 黙々と研究と実験を繰り返した。1966年にハイブリッド米に関する重要な論文を学術誌に発表した。しかし、当時は文化大革命の最中で、中国全体が大混乱に陥ったため、論文は重要視されなかった。その後、教え子たちと研究チームを組み、約8年間をかけて、各種イネによるさまざまな交雑パターンを試み、3000回以上の実験失敗を経て、1974年に大規模な応用が可能な優良品種「南優2号」の開発に成功した。

 単位面積の収穫量は普通のイネより約20%多いといわれる「南優2号」は各地で栽培され、袁氏の業績は国に評価され、81年に中国初の国家特等発明賞を受賞した。当時の中国では、「2人の平さんのおかげでご飯がたべられるようになった」という言葉が流行した。1人目の平さんは、中国を改革開放に導いた鄧小平(Deng Xiaoping)。2人目の平さんはハイブリッドイネを発明・普及させた袁隆平氏のことだった。

 その後、袁氏はさらにハイブリッドイネの改良を重ね、コメの単位面積当たりの収穫量を伸ばし続けた。1980年以降、国際社会から度々「中国で食糧危機が起きるのではないか」と懸念されたが、起きなかった理由の一つは袁氏のハイブリッド米の普及だった。

 袁氏の業績を表彰するため、中国科学院国家天文台が発見した小惑星8117は1999年、「袁隆平星」と命名された。2006年に、袁氏は中国農業分野で初の米科学アカデミー会員に選出された。

 2018年に、中国で研究者に与えられる最も権威のある賞の一つ、未来科学大賞を受賞した際、袁氏は「科学研究には終わりがない。ハイブリッド米を世界に進出させ、世界の人々に幸せをもたらすことが私の夢だ」と述べた。  

 袁氏の死去を受け、中国のインターネットには「中国5000年の歴史の中で、最も偉大な人物の一人だ」といった追悼の書き込みが寄せられた。(c)東方新報/AFPBB News