■奴隷制の復活

 フランス革命により、同国植民地での奴隷制は1794年に廃止された。だがナポレオンは1802年、英国の支配下にあり奴隷制が維持されていたカリブ海(Caribbean Sea)のマルティニク(Martinique)島がフランスに返還された際に、奴隷制を再び確立した。

 歴史家のジャン・テュラール(Jean Tulard)氏は、それは「ナポレオンの名声に対する」最も重大な汚点だとしながらも、奴隷制は当時は世界各地でまん延しており、ナポレオンの行為は経済的理由に基づくものだったと論じている。

■共和制の破棄

 ナポレオンを批判する人々は、革命後、同国初の共和制の試みに終止符を打ったナポレオンを、果たして現代のフランスが祝福すべきなのかという疑問も投げ掛けている。

 軍事クーデターでナポレオンは権力の座に就き、1804年に仏帝政が宣言された。

 これに対してナポレオンの支持者らは、軍事クーデターが革命の成果を守り、ナポレオンのやり方は独裁的であったにしても、国民投票で多数の支持を得ていたのだと主張している。

■後世の独裁者に影響

 歴史家らはさらに、ナポレオンはアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)、毛沢東(Mao Zedong)、ベニト・ムソリーニ(Benito Mussolini)といった20世紀の独裁者らにとっての手本だったのかどうかを議論している。

 テュラール氏は著書で「彼の独裁主義、(中略)強力な国家に対する意識、議会制の軽視、帝国主義、そしてプロパガンダの才能のすべては、われわれにそうだと確信させる」と記している。

 だが同時にテュラール氏は、ナポレオンは「彼の後継者と言い立てられているこれら(一部)の人々にあった残忍なイデオロギーや熱烈な人種差別主義は持っていなかった」としている。(c)AFP