没後50年 今なお語られるココ・シャネル最期の日々
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■死の予感
シャネルの店では翌朝、ショックを受けたスタッフらが、数日前からシャネルが仕事を急いでいたことを指摘し、本人は予感していたのだと語った。「彼女は死ぬ前にすべてを準備したかったのでしょう」
追悼が次々に届いた。シャネルが歯に衣(きぬ)着せず語っていた相手からのものもあった。
「シャネルは繊細な線を従えて現れ、生活に順応し、その現代性で万人を魅了した」と語ったのはスペインのデザイナー、パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)氏だ。シャネルはラバンヌ氏を「金属細工師」と呼んで一蹴していた。
フランスのデザイナー、ピエール・バルマン(Pierre Balmain)氏はシャネルについて「いつも大胆で、いつもはぎ取って、決して加えない。体を解き放つ以上の美はない」と語った。
■葬儀に数千人
1971年1月13日、葬儀が行われたパリのマドレーヌ(Madeleine)寺院の前には、数千人の群衆が集まった。
オートクチュール界の著名人の大半が参列した。だがシャネルが何度も批判したピエール・カルダン(Pierre Cardin)氏の姿はなかったとAFPは報じた。
みんなが敬意をささげたシャネルは貧しい出自の孤児で、多くの不幸な恋愛を経験し、「うっとうしいから」という理由で髪を短く切った最初の女性の一人だった。
シャネルはまた「今世紀の香水」と呼ばれた「シャネルの5番(Chanel No 5)」の生みの親だ。
シャネルのブランドはデザイナーのカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)氏によって、やがて1000億ドル(約10兆円)規模のビジネスに成長した。
ひつぎは、生涯を描いた米ブロードウェー(Broadway)の歌劇「Coco」のプロデューサーらから贈られた、シャネルお気に入りのツバキの巨大な花輪をはじめ、白い花の山の下になって見えなくなった。
シャネルはその後、戦時中に過ごしたスイスのローザンヌ(Lausanne)の墓地に移され、内輪で埋葬された。
それ以来、シャネルの墓はファッション愛好家の巡礼地となり、献花が絶えることがない。(c)AFP/Frédéric DUMOULIN