【1月10日 AFP】20世紀で最も偉大なファッションデザイナー、ガブリエル・「ココ」・シャネル(Gabrielle "Coco" Chanel)は50年前のきょう、仏パリの高級ホテル「リッツ(Ritz)」のスイートルームで突然、死を迎えた。

 1971年1月10日午後9時にこの世を去ったシャネル。彼女がデザインした服は今日もなお、われわれのファッションに影響を与えている。

 その日は日曜日だったが、87歳のシャネルは新たなコレクションを制作中だった。それらの作品は死から2週間後に発表された。

 最後の最後まで完璧主義者だったシャネルは、前日にカンボン(Cambon)通りにある自分の店で、細部のチェックや生地の選定、全部のボタンの点検をしている姿をスタッフに目撃されている。

 当日の真夜中、AFPは「マドモアゼル・ココ・シャネルが日曜の夜、パリで死去」と速報した。

 リトル・ブラック・ドレスの生みの親であるシャネルは男性服の要素を自由に取り入れ、女性をビクトリア時代の過酷なコルセットから解放した。

 シャネルのツイードスーツ、ツートンカラーの靴、キルトのハンドバッグはフランス流のエレガンスと女性解放の代名詞となったが、シャネルには暗い一面もあった。

■戦争について語るな

 フランスでは多くの人々がシャネルのことを、第2次世界大戦(World War II)中のナチス・ドイツ(Nazi)による占領下でナチスに協力したとして、非難した。

 シャネルは戦時中、ドイツの貴族で情報将校のハンス・ギュンター・フォン・ディンクラージ(Hans Gunther von Dincklage)男爵という恋人とリッツで過ごしていた。パリ解放後2人は中立国スイスに飛び立ち、シャネルはそこで10年間、身を潜めていた。

 1954年にシャネルはパリに戻り、リッツのスイートを住まいとした。

 シャネルの訃報は、この高級ホテルで親しい友人らが発表した。「彼女の最期はとても穏やかでした。こんなことになるとは思いも寄らない日々だったので、驚いています」とそのうちの一人は語った。

 ほっそりとした体つきに真珠のネックレス、カンカン帽にくわえたばこがなじみの姿となっていたシャネルは、このホテルを1937年から「わが家」と呼んでいた。

 シャネルが借りていたのはパリのバンドーム広場(Place Vendome)を一望できる、3階にある188平方メートルのスイートだ。