【12月31日 AFP】朝鮮戦争(Korean War)で北朝鮮の戦争捕虜となった韓国兵を父親に持つイ・スンクム(Lee Soon-keum)さんは10代の頃、父親を強く恨んだ。韓国兵捕虜の子は父親と同じように、炭鉱での苦役を強いられるからだ。

 ただ当時は、後に父親と兄弟が銃で処刑される様子を見せられることになるとは、知る由もなかった。

 1953年の休戦後、北朝鮮は数万人の韓国兵捕虜を国内にとどめ、鉱山や建設現場で強制労働させた。

 北朝鮮の辺ぴな北西の地で育ったイさんは、自分も他の韓国兵捕虜の娘らと同様に、学校卒業後の7年間、鉱山へ送られることを早くから知っていた。

「13歳の時、父が捕虜だと知った私は、父を心から恨んだ」とイさんは語る。

「父に詰問した。なぜ戦争で殺されてしまわなかったのかと。死んでいたら母に出会うことも、私たちが生まれることもなかったのにと」

 イさんは2010年、韓国に亡命。現在は首都ソウルに暮らしている。AFPの取材に応じたイさんは、父親は南部浦項(Pohang)への帰郷をずっと切望していたが、それが身の破滅を招くことになったと明かした。

 父親はイさんら子どもたちを前に、故郷を賛美しては、朝鮮半島(Korean Peninsula)が統一された暁には、イさんたちは「英雄の子どもたち」として歓待されるだろうと話していたという。

 同じく鉱山で働かされていたイさんの兄弟も、同僚らとの酒席でこの話をしてしまった。同僚のうちの一人が、当局に密告した。

 半年後のある晩、治安当局がイさんの自宅を訪れ、この兄弟を連れ去った。その数週間後、今度は父親が連行された。

 その後、2人の消息は分からなくなっていたが、ある日治安当局者らが何らの説明もなく、イさんを橋のそばの荒れ地に連れて行った。橋の上には、多くの人が集められていた。

 そこへ1台の車が到着。衰弱し、繰り返し殴打されたように見える男性2人が乗っていた。イさんの父親と兄弟だった。

「兄弟は子どものように縮んでしまい、父は干からびて小枝のようだった」とイさんは振り返る。

 ある当局者が、2人は反逆者だと叫ぶと、2人は地面に立てられた2本の柱にそれぞれ縛り付けられた。そして3人の銃殺隊が、2人を射殺した。

 イさんの心は、2人が殺されたその瞬間の記憶を消し去ってしまっている。しかし死の間際の数秒間、父親と目を合わせたことだけは覚えている。それを思い出したイさんは泣き崩れた。

「父が私をじっと見つめながらこう言っているように思えた、お前は故郷へ帰るんだぞと」 (c)AFP/Sunghee Hwang