【11月14日 AFP】音を立てて燃え上がった炎が、金切り声を上げる女性の体になめるように広がっていく。女性は生きながら焼かれていく──デンマークにある「魔女狩り博物館(Hex! Museum of Witch Hunt)」は、暗黒の時代を現代によみがえらせている。

 博物館はリーベ(Ribe)という町の、かつて「魔女ハンター」をしていた男の家にオープンした。魔女に対する恐れが、16~17世紀にデンマークと欧州全域に吹き荒れた迫害の嵐にどのようにしてつながったかを明らかにしている。

 博物館の歴史学者ルイーセ・ハウベア・リンゴー(Louise Hauberg Lindgaard)氏がAFPに語ったところによると、欧州全体で約10万人が魔女裁判にかけられ、5万人もが火あぶりにされたという。その大半は、悪魔と共謀していると見なされた女性だった。

 欧州で最も盛んに魔女狩りが行われた国ドイツでは、1万6500回に上る裁判が実施され、その4割以上で告発された者が火あぶりの刑に処せられた。デンマークでは、1000人が死刑となった。国全体の人口が当時は100万人程度だったことを考えると、かなり大きい数字だと、ハウベア・リンゴー氏はいう。

■熱心な国王

 ハウベア・リンゴー氏によると、デンマーク国内で魔術に対する反感が高まったのは、主に国王クリスチャン4世(King Christian IV、在位1577~1648)のせいだという。

 クリスチャン4世の統治下では、魔術の行使を禁じるデンマーク初の法律が1617年に導入され、黒魔術師たちがはりつけになった。法律導入後の8年間には迫害が横行し、5日に1人の「魔女」が火あぶりにされた。

 クリスチャン4世にとって、魔女の迫害は、臣民を大切にする良きキリスト教徒の印象を与えつつ権力を保持するための手段だった。それは、義兄のスコットランド王兼イングランド王ジェームズ6世(King James VI)を含む多くの同時代の王たちにとっても同様だった。

 6月末にオープンした魔女狩り博物館は、最初の1か月間の観覧客数が1万人に上った。好結果の要因は涼しい夏だったことと、人気のテーマであることの両方にある。

 ハウベア・リンゴー氏は「一般の人々が持つイメージによって魔女狩りの時代の『歴史的真実』はあやふやになり、新たな解釈が加えられているため、人々が『実際に何が起きたのか』を知りたいと願って、ここを訪れていることを確かに感じる。興味深い」と語る。大半の「魔女」は女性だったが、最大で4人に1人は男性だった、と同氏は指摘する。独身で、コミュニティーでは立場が弱く、かなり貧しかった場合がしばしばだという。

 不気味なBGMが流れる館内では、ほうき、魔よけ、人形や他の展示品とともに拷問道具が陳列され、魔女裁判の再現アニメが放映されている。

 博物館が入っている建物自体も由緒あるものだ。16世紀末にこの建物を造った「魔女ハンター」は7件の裁判で重要な役割を果たし、そのうちの3件で魔女とされた人物が火あぶりの刑に処せられた。(c)AFP/Camille BAS-WOHLERT