【10月11日 AFP】悪魔の踊りに花火、ロバの骨でできた楽器を使い、メキシコのアフリカ系住民は自分らのルーツを祝う──しかし、数百年にわたり暮らしているにもかかわらず、メキシコでのアフリカ系コミュニティーに対する社会的な認知度は低い。

 メキシコ南部ゲレロ(Guerrero)州クアヒニクイラパ(Cuajinicuilapa)では、守護聖人であるトレンティーノの聖ニコラウス(Nicolas)をたたえ祭りを開く。これは、文化の衰退とアイデンティティーの消失を食い止めるための取り組みの一つだという。

 アフリカ系メキシコ人は、メキシコ人口1億2800万人のうち約150万人を占める。だが彼らの存在は、太平洋に面したゲレロ州の一部地域を除きあまり知られてはいない。奴隷としてアフリカから連れてこられた人々の子孫についての記述を歴史書のなかで見つけることも難しく、キューバやハイチ、ベリーズからの移民と間違われることも珍しくない。

■まだ残る人種の否認

 クアヒニクイラパには、アフリカ系メキシコ人の歴史と文化に特化した博物館がある。アンジェリーカ・ソロア(Angelica Sorroa)さん(58)は、博物館で働く唯一の従業員で、マネジャーからガイドまで全て一人で担当している。

 ソロアさんは、「私たちは子どもたちが幼いうちから自分らのルーツを受け入れるよう話している」と述べ、人種に対する体系的な否定がメキシコ社会に残っていることを指摘する。「誰が奴隷の子孫になりたいと思いますか?」

 アフリカ系メキシコ人の祖先は1519年、スペインのエルナン・コルテス(Hernan Cortes)ら征服者(コンキスタドール)とともにメキシコにたどり着いた。それから10年後、カカオや綿のプランテーション、畜産に従事させる目的でアフリカの人々を奴隷として連れてきた。歴史家によると、アフリカから連れてこられた人の数は数十年間で約25万人に上ったという。

 その後、アフリカの人々はメキシコ先住民との生活に溶け込んでいった。しかし、独立後もクアヒニクイラパは社会的に孤立していたため、そこで暮らしていたアフリカの人々は自分らのアイデンティティーを維持することができた。

■「この国にしっかりと根を張っている」

 教師のホゼ・パチェーコ(Jose Pacheco)さん(39)は、「悪魔の踊り」といった祖先をたたえる伝統の継承に人生の大部分をささげてきた。

 もともとは、アフリカの神をたたえる祭りも、今日ではキリスト教の行事の一部を成すようになっているという。

 歴史書に記述はなくとも「アフリカ系メキシコ人は、この国にしっかりと根を張っている」と、パチェーコさんは話した。(c)AFP/Jean Luis Arce