■「象徴」

 フセイン元大統領の身柄は2003年に拘束された。

 毒ガス攻撃の影響で肺をやられ、今でも睡眠に障害があると話す教師のマハムード・アサドプール(Mahmoud Assadpour)さん(50)は、このニュースを聞いて喜んだと話す。だが、フセイン大統領がサルダシュトへのガス攻撃について裁判で罪に問われることがないまま処刑されたことを知った時は、やはり肩を落としたという。

 また、2005年には攻撃で使われた毒ガスの提供者に有罪が言い渡されたものの、極刑を免れたことから生存者らは再び落胆することとなった。サルダシュトとイラクのクルド人自治区ハラブジャ(Halabja)では、毒ガス攻撃によって5000人近くが命を落とした。

 こうした状況を変えようと、生存者らは、サルダシュトへの攻撃を国際社会にしっかりと認識してもらうべく活動を続けている。

 米国の原子爆弾で破壊された広島が「同じことが二度と起きないよう」警告を発する大きな存在となったのと同様に、サルダシュトが「象徴」になることを願って活動を続けているのだと彼らは話した。(c)AFP/Ahmad Parhizi and Marc Jourdier