【8月28日 AFPBB News】安倍晋三(Shinzo Abe)首相が28日、健康上の理由で辞任すると表明した。安倍首相の体調をめぐっては、以前から臆測が広がっていたが、今月に入って2回にわたり病院で検査を受けたことで、不安視する声が高まっていた。そこで、前回辞任した2007年のAFPの記事で、当時を振り返る。

 初の戦後生まれの首相で、「戦後レジーム」からの脱却を訴え、憲法改正を主張してきた安倍首相は、2007年9月12日、安倍首相は辞意を表明した。同年7月の参院選で相次ぐ閣僚の不祥事などが響き大敗、勢力を拡大した野党からは改革路線に対する理解を得られないという状況の中、2006年に就任してからわずか1年での退陣表明となった。

 辞任の理由について、安倍首相は当時の記者会見で野党対応、特にアフガニスタンに展開する米軍を支援する自衛隊の活動延長をめぐる交渉の難しさを挙げ、健康問題には触れなかった。しかし、与謝野馨(Kaoru Yosano)官房長官(当時)がその後、健康問題が背景にあったとの認識を示し、「個人の問題だから病名などについて詳しく言えないが、仕事と健康の両立について、深い苦悩の中にあった」と説明した。

 与謝野氏によると、首相は自分の健康が厳しいスケジュールや職責の重圧に耐えられるか、常に推し量っている状態だったという。首相は入院や静養の必要はなく日常生活は続けられるとのことだが、与謝野氏は、首相としての職責は重要な決定を下すにあたり肉体的にも精神的にも相当な重圧となったに違いないと述べた。

 辞任後に入院した安倍首相は、それから約2週間後に東京・慶応大学病院(Keio University Hospital)で記者会見し、突然の退陣表明により政治的空白をつくったことに対し、陳謝した。辞任の理由については、体調悪化が続き、「体力に限界を感じた。このままでは総理としての責任を全うすることができないと決断した」と述べた。

 退陣から5年後の2012年、安倍氏は9月に行われた自民党の総裁選を制すと、12月の第46回衆議院選挙で自民党が圧勝したことで、再び首相の座に返り咲きを果たした。

 それ以降は自公連立政権により国会で大きな脅威に直面することなく、党内にも強力なライバルが不在だったこともあり、2019年11月に安倍首相は、1901~1913年に首相を3回務めた桂太郎(Taro Katsura)元首相の記録を抜き、首相の通算在職日数が歴代最長となっていた。(c)AFPBB News