「どこかで生きているかも…」 息子を待つ母親たちの苦悩 スレブレニツァの虐殺から25年
発信地:スレブレニツァ/ボスニア・ヘルツェゴビナ
[
ボスニア・ヘルツェゴビナ
ヨーロッパ
]
このニュースをシェア
■「生きる理由がない」
71歳のメイラ・ジョガス(Mejra Djogaz)さんは、残りの人生を自分の人生が「止まった」場所で過ごすと決めている。
毎朝テラスの花に水をやりに行くと、スレブレニツァにある記念館のすぐそばの家からは、何千もの白い墓が緑の芝生に広がっているのが見える。
19歳と21歳で死んだ2人の息子はそこに眠っている。20歳だった三男と夫はスレブレニツァの虐殺が起こる前の1992年に殺されていた。
「もう生きる理由がない。気が狂わないように花の世話をしているが、自分自身の花は黒い地中にある」
■「二度と会えない」
ラミザ・グルディッチ(Ramiza Gurdic)さん(67)は、17歳と20歳の息子たちと夫を殺した男たちにも「子どもはいたのだろうか?」と考える。
夫と一緒に森に逃げ込む前、長男はたばこを1本吸うとグルディッチさんに言った。「もう二度と会えないと思う」。下の息子は何も言わなかった。
2人の息子の遺体は後に発見されたが、長男は半分だけしか見つからなかった。グルディッチさんは、残りの半分がいつか見つかることを願っている。(c)AFP/Rusmir SMAJILHODZIC