■噴火後の2年間、気温が最も低かった時期に一致

 研究チームは、北欧スカンディナビア(Scandinavia)地域の気候の歴史を刻んだ木の年輪から中国北東部の洞穴の生成物まで、仮説を裏付けるさまざまな証拠を世界中で収集した。このデータを気候モデルで分析したところ、オクモク山の噴火後の2年間、北半球の気温がこの2500年で最も低かった時期に重なっていたことが分かった。

 噴火後の夏と秋の平均気温は標準を7度も下回り、秋の降雨量は欧州南部では通常の4倍に達していたと考えられる。合わせてこの時期には、平野を潤すナイル川(Nile River)の氾濫が起きず、その後、病気や飢饉も発生した、と米エール大学(Yale University)の歴史家ジョー・マニング(Joe Manning)氏は付け加えている。

 この時期には、太陽の周りにかさが懸かり、太陽が暗くなったり、あるいは太陽が三つ見える幻日と呼ばれる現象が起きたりするなど、異常な大気現象が記録に残っていることも、火山の噴火で説明がつくかもしれない。ただし研究チームは、観測事例の多くはオクモク山の噴火より時期的に早いため、紀元前44年に起きたエトナ山(Mount Etna)の小規模噴火が原因かもしれないと指摘している。

 マコネル氏は、共和政ローマと古代エジプト王朝プトレマイオス朝の崩壊にはさまざまな要因が絡んでいるが、中でもオクモク山の噴火は重要な役割を果たし、これまで歴史家を悩ませてきた謎を解明するのに役立つはずだと述べている。(c)AFP/Issam AHMED