■メンゲレの人体実験のモルモットになった母子も

 シュルマンさん、ベルガーモランさん、オルスキーさんをはじめとする収容所の乳児たちは、ナチズムの悪に対する勝利の感動的なシンボルになっている。

 かくも非人間的な環境下での誕生から生き延びた子どもたちが、その後の人生で直面した困難は、自らと家族の身に起きたこととどう折り合うかだった。

「生まれてからずっと、来る日も来る日も、ホロコーストと生きてきた」とシュルマンさんは語る。「押しつぶされそうな子ども時代でした。私は自分を恥じていました」

 この問題について異例の調査研究を実施した人類学者のステイシー・ジル・ローゼンタール(Staci Jill Rosenthal)氏によると、収容所で妊娠していた女性たちの一部は後に、生まれた新生児をナチスが殺すことに同意する書面に署名を強制されたことを明らかにしている。

 ナチスによる「アーリア人」の容貌基準に適合する一部の乳児は、収容所から連れ出され、ドイツ人家庭の養子となった。だが大半の乳児は死亡した。その多くは悲惨な死に方だった。

 悪名高いヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele)医師による人体実験のモルモットになった赤ん坊もいた。娘を出産したばかりのある女性は、新生児が母乳なしでどれだけ生存できるかを調べるという名目で、乳房をひもで縛り付けられた。